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【福岡】小倉城に残る軍施設の正門跡

小倉城に昔の軍施設の正門跡が残っています。


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▲ 小倉城の場所はこちらです。


▲ 小倉城の鉄門(くろがねもん)の向かい側にこういうものがあります。


▲ 特に何も建物などはないのに、なぜか門だけが建っています。


▲ これは、昔この場所にあった歩兵第十二旅団司令部の正門跡なのだそうです。


▲ この階段部分が鉄門の跡です。

階段を登ると・・・


▲ ここにも何かの門の跡が残っています。

これは第十二師団司令部の正門跡だそうです。


近くにあった案内看板にはこう書かれていました。

明治8年(1875)に、歩兵第十四連隊が小倉に設置されました。同18年(1885)、小倉城松の丸跡に、既設の第十四連隊と福岡の歩兵第二十四連隊を管轄する歩兵第十二旅団本部が開設されました。ついで、日清戦争後の軍備拡張のため、同31年(1898)小倉、大分、久留米、佐賀の各連隊や下関要塞砲兵連隊をもって第十二師団が生まれ、その司令部庁舎が本丸跡に建てられました。この煉瓦造の正門は当時のもので、明治32年(1899)6月から第十二師団の軍医部長を務めた森鷗外もこの門を通って登庁しました。なお、司令部は軍縮により、大正14年(1925)、久留米に移転することになりました。

「連隊」とか「師団」「旅団」など色々出てきて難しいですが、Wikipediaの軍隊の編制を見てみると、上から

軍(army) – 軍団(army corps) – 師団(division) – 旅団(brigade) – 連隊(regiment) – 大隊(battalion, squadron) – 中隊(company, battery, troop) – 小隊(platoon) – 分隊(又は班)(squad) – 班(又は組)(team) – 組(fire team)

という編成になっていたようです。

「連隊」の集まりが「旅団」、「旅団」の集まりが「師団」ということですね。


▲ 案内看板には実際に第十二師団司令部があったときの写真が載っていました。

今はのどかなお城跡ですが、昔はとても物々しい雰囲気があったのですね。

この先、再びこういう施設が作られないことを願いたいものです。

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【こぼればなし】

歩兵第十二旅団司令部の正門跡はコンクリートがはがれ落ちた部分からレンガが見えていました。もともとレンガ造りだったものの上からコンクリートで固めたのでしょうかね??

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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