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彦山駅近くにある爆発踏切

彦山駅近くに爆発踏切という踏切があるとのことでいろいろと調べてみました。DSC04613
▲ JR日田彦山線にある彦山駅。

英彦山にある英彦山神宮の最寄り駅であることから神社風の造りになっています。

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▲ 彦山駅から約1キロ程南に進んだ場所に遮断機の無い小さな踏切があります。

[map addr=”福岡県田川郡添田町落合1917”]
▲ 場所はこのあたり。住所:福岡県田川郡添田町落合1917

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▲ この踏切は「爆発踏切」という名前の踏切で終戦直後に発生したある事故が元となってこのような名前がつけられています。

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▲ この爆発踏切から彦山駅の方向を見てみると、途中に山の切通しがあり、そこを線路が通っています。

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▲ しかし、かつてはこのような感じで山があり、「二又トンネル」というトンネルが存在していました。

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戦時中の昭和19(1944)年、小倉にあった火薬庫が空襲被害にあったしまったため、新たな火薬庫として二又トンネルが使用されることになりました。

終戦までの間に大量の火薬が二又トンネルに貯蔵され管理されていました。

終戦後、この火薬庫の存在がGHQに知れるところとなり、火薬の焼却処分が命じられました。

焼却処分のテストの結果、問題ないと判断され焼却が開始されました。

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ところが、火をつけてからおよそ一時間半後、トンネルの口から真っ赤な火がゴウゴウと吹出し、川を隔てて百数十メートル向こうの民家にさえ火がついてしまうほどの勢いになっていました。

目撃者によると、トンネルの口から火が出たかと思うと次の瞬間には火がトンネルに吸い込まれ、まるで怪獣が呼吸しているようだったとのこと。

そして点火からおよそ二時間半後、火薬に一気に引火して大爆発がおこり、トンネルはおろか、山もろとも吹き飛ばされてしまいました。

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▲ こちらは彦山駅に展示されていた爆発事故後の写真。

山が二つに割れ、数百メートル離れた場所の家屋さえも倒壊しています。

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▲ 上記の写真と同じアングルで現在の様子を確認してみると、爆発後の山の形が今でもそのまま残っていることがわかります。

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▲ また、彦山駅の駅舎には小さな穴が無数に開いており、これらは爆風で飛ばされた石によってできた穴だとも言われています。

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▲ 爆発による土砂に埋もれた人、爆風で吹き飛ばされた人など負傷者は149人、死者は147人もいたそうで、戦後処理における事故としては最大規模の犠牲者数を出すこととなりました。

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▲ 爆発現場そばの昭光寺には慰霊碑が建てられ、犠牲になった人の名前が刻まれています。

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▲ あまり知られていない事故ですが、戦後処理においてこんな悲劇が起こっていたことは伝えていかなければならないことなのかもしれません。

【参考サイト】
Wikipedia二又トンネル爆発事故

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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