博多に150メートルの人魚が埋まっている?!
福岡市博多区冷泉町にある龍宮寺には人魚にまつわる伝説が伝わっています。
▲ 1222年、博多の漁師の網に人魚がかかりました。(※絵図は龍宮寺案内看板より)
▲ 小さい感じに見えますが、約150メートルもある巨大な人魚だったそうです。
▲ こちらは龍宮寺に伝わる人魚が描かれた掛け軸。
確かに左側の文章に「八十一間(=約150メートル)」と記されていますね。(※写真は「お寺めぐりの友」の「龍宮寺」のページから許可を得て掲載しています)
▲ 鎌倉時代をあらわした古地図を確認してみると、人魚がどこで上がったのかが記されていました。(→拡大して確認する)
▲ この部分です。
▲ 「人魚この辺より上がるという」と書かれています。(※古地図は地下鉄呉服町付近の案内看板より引用)
▲ 櫛田宮のやや西側ですので現在の中洲あたりでしょうか。
「いちおう偉か人に教えとったほうがよかやろ」と言ったかどうかはわかりませんが、人魚が上がったという事を京都の朝廷に伝えたそうです。
人魚のことを聞いた朝廷は冷泉中納言という人物を博多に派遣します。
▲ 古地図には冷泉中納言が宿泊した場所も記されています。
この場所が現在の龍宮寺であると言われていて、しばらくの間、ここに滞在したようです。
ちなみに、現在の「冷泉町」の名前はこのことに由来すると言われています。
一方、博多の町は人魚が上がったということで大騒ぎになったといいます。
好奇心旺盛な博多っ子、まさかの「みんなで人魚を食べよう!」ということになったのだそうです。
しかし、食べようとしたのにはちゃんと理由があり、当時、人魚の肉を食べると800年生きることができると言われていたからだそうです。
それで 早速 食べようかとしていた時、滑り込みで(?)冷泉中納言と安倍大富という博士が到着。
安倍大富がこの人魚について占ってみると「国家長久の瑞兆なり」つまり、国が末永く続く前兆であると出たため、食べるのはやめて手厚く葬ることに決定したのだそうです。
冷泉中納言が宿泊していた龍宮寺(当時は浮御堂と言っていた)に人魚を運び、塚を作って埋葬しました。
▲ 作り変えられてはいるものの、その塚は現在でも龍宮寺に残っています。
それから時は流れ、約550年後の1780年代・・・
龍宮寺で不思議な骨が出土します。
▲ こちらが現在でも龍宮寺に伝わる骨の実物。(※写真は「お寺めぐりの友」の「龍宮寺」のページから許可を得て掲載しています)
過去の記録などから考えると、これは人魚の骨ではないかと言われています。
▲ 人魚は150メートルぐらいの大きさだったわけですから、お寺の中から骨が出土したということは おおよそこれぐらいの範囲で人魚が埋まっているのではないかと考えられます。
実際、地下鉄工事の際には色々な化石や骨が出土したと言われています。(この範囲で出土したかは不明ですが・・・)
そして、福岡県青少年科学館には地下鉄工事の際に出土したものが展示されています。
もしかしたらこの中に人魚の骨が入っているのかもしれませんね。
【参考文献リスト】
・お寺めぐりの友 冷泉山慈眼院 龍宮寺
・福岡のばけもの
・「ぞ」はZOOLOGISTのゾ5
・萬盛堂歳時記 Vol.46 人魚伝説
・Wikipedia 人魚