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【筑紫野】アメリカ軍の機銃攻撃の跡が残る西鉄旧筑紫駅の駅舎

筑紫野市にある筑紫コミュニティーセンター横に西鉄旧筑紫駅の駅舎が残されています。[map addr=”福岡県筑紫野市筑紫634-7″]
▲ 場所はこちら。駐車場の一角にあります。

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▲ 古い木造の駅舎ですが、この駅舎の横には「筑紫平和シンボル」と記された柱が立てられています。

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▲ 天上には数カ所穴が空いていますが、これは終戦間近の昭和20(1945)年8月8日に米軍機から機銃攻撃を受けた際にできた穴です。

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▲ 横に設置されていた案内板にはこう書かれていました。

「昭和二〇年八月八日、福岡発九時二五分の下り列車(二両編成)は井尻付近で空襲警報のため停車、ほぼ満員の二〇〇名余の乗客は一旦車外に非難した。北部九州が何度目かの空襲を受けた日で、戦爆連合一八〇機の編隊が井尻上空を通過したのが目撃された。警報は一時間余で解除され、乗客はふたたび電車に乗り込んで、電車が筑紫駅に近づいてたのは、昼近くであった。おりしもグラマン数機が上り列車(二両編成)に機銃掃射を加えているのを目撃、急停車して乗客避難を開始する間もなく、たちまち機銃掃射を受けた。これによって、上り列車の乗客二〇名のうち即死八名、下り列車の乗客二〇〇余名のうち即死五六名、負傷者一〇〇余名という莫大な被害を受けた。わずか五~六分間の出来事であった。終戦まであと一週間という日の惨劇である。」と西日本鉄道株式会社七〇年誌は筑紫駅空襲の模様を記載しています。

この駅舎の屋根には当時の米軍機の弾痕が残されています。わたしたちの身近は所で起きた戦争の惨劇が永く語り継がれ、この駅舎が平和の礎石として活かされることを願って保存するものです。

またこの駅舎は大正一三年四月に開通した急行電車のホーム待合室として昭和初期に建設されたもので現存する駅舎の中では最も古いものでもあります。

※なお銃撃をした米軍機の機種については諸説があります。


▲ 2013年にはこの機銃掃射攻撃の様子を記録した映像がアメリカ国立公文書館で発見され、公開されました。

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なぜ米軍機は明らかに一般人が乗っている列車を攻撃したのかというと、まずは交通インフラを経つことが目的だったためだそうです。

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現場に遭遇した方に話を伺うと、その様子はまさに地獄そのものだったそうです。

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車内だけでなく、周辺の田畑にも遺体が散乱し、後になってから発見された遺体もあったのだそうです。

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▲ その悲惨な記憶を伝える唯一のものとして後世に残していく必要があります。

【参考サイト】

Wikipedia 筑紫駅列車空襲事件

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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