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筑前煮(がめ煮)と福岡城のお堀の意外な関係

昨日のうちの晩ご飯が筑前煮で、食べながら 先日対談をした際に教えてもらった豆知識を思い出したのでちょっと書いてみたいと思います。

福岡城のお堀の蓮が満開(?)ですね。

みなさん、ここになぜこれだけ たくさんの蓮が生えているのか ごぞんじですか??

僕も今まではとくに考えたことがなかったのですが、へぇ〜!と思える理由があったのです。

時代は明治までさかのぼります。

明治維新により福岡藩が消滅し、廃城令によって福岡城は取り壊されました。

▲ こちらの写真は明治頃の福岡城の様子です。(※写真は「想い出のアルバム・博多、あの頃―明治・大正・昭和を綴る/葦書房」より引用)

現在の地下鉄赤坂駅近くにあるプロントというパスタ屋さんあたりからお堀を撮影したものです。

なにやら廃墟のようにも見えますね。

▲ まったく同じアングルで撮影してみました。

今は蓮だらけですね。

▲ 当時のお堀は福岡城をぐるりと取り囲み、さらに赤坂あたりから天神をつらぬく形で築かれていました。(※ 地図は「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み」【海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編】より引用)

▲ 現在の地図に当てはめるとこのような感じです。

もともとはお城の防衛のために作られたものですが、明治になって城が取り壊された後は無用の長物となっていました。

交通の面でも不便ですし、開発の妨げにもなっていたことでしょう。

しかし、なんとか有効に活用できないかと考えて始められたのが蓮の栽培です。

もちろん、蓮の花がキレイだな〜とながめるための観賞用ではなく、蓮の根、つまりレンコンを食用とするために栽培されました。

確かに、お堀というのは流れがなく、深さも深すぎず浅すぎずでレンコンの栽培に最適な気がしますね。

レンコンの販売で得た収益は修猷館のために使われたと言われています。

なので、修猷館の学生さんは お堀のレンコンに感謝せねばですね!

そして、食卓に流通したレンコンは「筑前煮(がめ煮)」となり、今でも愛される福岡の郷土料理として広がっていったのだそうです。

▲ 現在福岡城のお堀に生えている蓮はそのときに植えられたものが自生して残っているものだったのですね。

他の郷土料理も調べてみるといろいろと へぇ〜!と思えることがあるかもしれませんね。

【参考文献リスト】
古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編)
想い出のアルバム・博多、あの頃―明治・大正・昭和を綴る (1977年)

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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