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古地図でみる 福岡市中央区大名の気になる曲がり角 その2

「古地図でみる 福岡市中央区大名の気になる曲がり角」の第2弾です。

第2弾は気になる曲がり角を調べたらJazzに行き着いた・・・そんなお話です。

ちなみに第1弾はこちら


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▲ 場所は大名1丁目にあるこの場所。

▲ 「警固」の交差点にあるパチンコ「PLAZA」の向かい側にある この小道です。

▲ 大名中心部への近道のような雰囲気がありますので通ってみると、

▲ 突き当たってしまいます。

▲ 近道だと思ったのに通り抜けられない!

▲ 結局、国体道路に戻されてしまいます。

この小道にだまされたことがあるという人は多いのではないでしょうか。

これは違和感があって非常に気になりますね。

早速古地図で調べてみましょう。(※地図は「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編)」より)

▲ 大名1丁目はこの近辺です。

▲ 先程の小道はこの部分。

なるほど、元々小さな川だったものが埋め立てられて今のような道筋になっていたのですね!

▲ 小川は現在の国体道路に流れ込む形で続いています。

国体道路も昭和初期に埋め立てられるまでは「薬院川」という川が流れていました。

そして、元禄12年の「福岡御城下絵図」をみてみると小さな橋がかかっていたようです。

▲ 当時を再現するとこのような感じになっていたものと思われます。

※赤い部分が橋、青い部分が川です。

▲ そしてもう一つ古地図をみて気になった点。

この場所には「妙泉寺」というお寺があったようですね。

お寺があった箇所を注意深く見てみると・・・

▲ ちょっとだけ古い石垣が残っていました!

後世にコンクリートで補強されたようですが、この石垣の積み方からすると結構古いものだと思われます。

▲ 川に面していたので石垣の上にお寺が建てられていたのでしょう。

▲ 今ある建物に食い込むような形で石垣が残っています。

妙泉寺という名前のお寺が福岡にないか調べてみましたところ、福岡市城南区友丘に妙泉寺というお寺があるようです。

妙泉寺の沿革

1646(正保3)年創建、開基休雲。1969(昭和44)年、13世宣雄の代に旧林毛町(現在大名1丁目)から、現在地に移転する。

とありましたのでこの場所にあった妙泉寺で間違いないと思われます。

1969年まではこの場所にあったようですね。

妙泉寺は「筑前國續風土記付録」によると、

梅華山と云。光専寺の末寺也。開基休雲は俗名を木村長十郎といふ。其父を治郎左衛門といへり。原田家の窂人也。休雲12歳にて出家し、福岡に来り光専寺の弟子となる。正保4年(1648年)本山良如上人より寺號を許され、當山を創立するといふ。

とあります。(お寺めぐりの友 梅華山 妙泉寺 より引用)

元々窂人(任官せずに主家をもたない武士:weblio 窂人 より引用)だった人が出家して開かれたお寺だったのですね。

そして妙泉寺の「現在、行っている活動」をみてみると

◆JAZZ僧伽(ジャズサンガ)(いまのところ、春に一度。)
JAZZコンサートによって、門徒以外の方々に寺の門をくぐっていただく。

と非常に気になるイベントが書かれていました。

JAZZ僧伽について調べてみると、YouTubeに動画が上がっていました。

気になる曲がり角から最終的に素敵なJAZZにたどり着くとは!

JAZZ僧伽、今度ぜひ見に行ってみようと思います。

【参考文献】
・古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編)
・九州大学総合研究博物館 「福岡御城下絵図
・浄土真宗本願寺派 福岡組(ふくおかそ)「梅華山 妙泉寺
・お寺めぐりの友「梅華山 妙泉寺

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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