【福岡】太宰府から鴻臚館を結ぶ一直線の道
かつて、福岡には太宰府から鴻臚館を結ぶ一直線の道があったのだそうです。
▲ 春日公園内にあった案内看板にこんなことが書かれていました。
ここ春日公園の敷地内では官道と呼ばれる奈良時代に作られた道路の跡が見つかっています。この道路は当時は九州一円を統括する役所であった大宰府政庁と鴻臚館(外国使節をもてなすための役所、今では福岡城跡のある博多湾を見下ろす丘の上に設置されていました)とを結んでいました。幅10mほどの道路は両脇に側溝が掘られ、路面がガチガチに硬くなっていました。道筋は大宰府政庁のの正面中央に想定されている「朱雀大路」の南端から、水城の西門の通り一直線に鴻臚館へと向かっており、この水城西門ルートはここ春日公園遺跡の他にも、近年、大野城市や太宰府市など各地の発掘調査で確認されています。また、太宰府を取り巻く官道には水城の東門を経て、博多湾岸へ向かうものや、西門ルートの途中から唐津方面へ向かうルートもありました。特に外国使節を太宰府へ迎え入れるために造られた西門ルートでは、沿線に寺院や官衛を配置して国家の強い意気込みを示そうとしていたようです。
▲ 色々と書いてありましたが、要は、こういう感じで太宰府から鴻臚館(福岡城跡の場所)にまっすぐの道があったということです。
現在の春日大通り〜高宮通りなんかはこの官道に沿う形になっていますので、もしかたら古代の道筋がそのまま残っているのかもしれませんね。
▲ 道はこのように両脇に溝が掘られていて、真ん中に路面を固めた道があったことがわかったそうです。
▲ 発見されている遺跡を結んでみると、ちょうどその道沿いに当てはまるそうです。
GoogleMapで道を辿って行くと寺社仏閣が集中しているような気がしますが、これももしかしたら古代の官道があったためなのかもしれませんね。
祥伝社
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