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意外といろんな場所にある!福岡市内の豊臣秀吉ゆかりの地

意外といろんな場所にある!福岡市内の豊臣秀吉ゆかりの地まとめです。

名島城址

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▲ 名島城は小早川隆景の居城だった城です。

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▲ 場所はこちら。住所:福岡県福岡市東区名島1丁目26−1

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▲ 城跡は現在、公園・神社・住宅地となっていてその痕跡はわずかしか残っていません。

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▲ 秀吉は九州平定後、博多の町の復興を行うべくこの場所に拠点を置きました。

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▲ 船から度重なる戦火によって荒廃した博多の町を眺め、さまざまな指示を行ったのだそうです。

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▲ その後、朝鮮半島への勢力拡大を考えた秀吉は妻である淀殿とともに再びこの場所を訪れ、名島城に宿泊後、佐賀の名護屋城へ向かったと言われています。

妙見島

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▲ 名島城の近くにあった妙見島。

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▲ 場所はこちら。住所:福岡県福岡市東区名島1丁目30−2

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▲ 現在では埋め立てによって島ではなくなっていますが、昭和初期まではこのような独立した島でした。

小早川隆景はこの島に秀吉を招待して茶会を開催したと言われています。

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▲ 妙見島跡の藪の片隅には秀吉が使ったと言われている井戸の跡が残されています。

恵光院 燈籠堂

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▲ もう一か所、茶会を開催したとされる場所が残っています。

馬出の恵光院にある燈籠堂です。

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場所はこちら。住所:福岡県福岡市東区馬出5丁目36−35

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▲ こちらの灯籠堂で、千利休が秀吉と博多の豪商島井宗室、神屋宗堪を招き茶会を開催しています。

スゴイメンバーが集結していたのですね・・・。

この建物は元々筥崎宮の中(参道脇)にあったのだそうですが、明治時代の神仏分離際にここに移されたのだそうです。

豊国神社(神屋宗湛屋敷跡)

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▲ 奈良屋町にある豊国神社(ほうこくじんじゃ)は豊臣秀吉を祀る神社です。

[map addr=”福岡県福岡市博多区奈良屋町1−18”]
▲ 場所はこちら。住所:福岡県福岡市博多区奈良屋町1−18

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▲ この場所は秀吉と縁の深かった神屋宗湛(かみやそうたん)の屋敷がありました。

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▲ 16世紀の後半、海外交易の拠点となっていた博多の利権を争い、博多の町は度々戦火にみまわれて荒廃していました。

しかし、秀吉は神屋宗湛の資金援助もあって九州平定に成功しました。

その後、朝鮮半島への進出を目指していた秀吉は その拠点となる博多の町の復興に着手。

再び神屋宗湛が協力し、博多の町はみごと復興しました。

その恩として現在の豊国神社周辺に屋敷を与えられたのだそうです。

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▲ 神屋宗湛は自分の屋敷内に秀吉を祀っていて、それが明治19年、博多復興300年を記念して豊国神社として整備され、現在でも豊臣秀吉を祀る神社として残っています。

神屋家には復興の時に町割りに使用した6尺6寸の間杖(ものさし)が代々伝えられていて、豊国神社のご神体として祀られていましたが、戦災で焼けてしまったそうです。

太閤道

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▲ 城南区の別府には太閤道と言われる道があります。

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▲ 場所はこのあたり。住所:福岡県福岡市城南区別府2丁目22−9

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▲ ありふれた道のように思えますが、この道は朝鮮半島への出兵のため名護屋城へ向かう秀吉が通った道です。

現在は住宅地になっていますが、当時は田畑の広がる土地であったため、荒らすことのないように田畑を避けながら道が整備されたのだそうです。

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▲ 朝鮮出兵の際にはさまざまな武将が名護屋城に集結しましたので、全国の名だたる武将たちもこの道を通ったのでしょうね。

Hideyoshi
▲ 福岡にはあまりゆかりの無いように思えますが、意外とたくさん豊臣秀吉ゆかりの場所が残っているものですね。

こうやってひとりの人物にテーマを絞っていろんなところを巡ってみるのも楽しいです。

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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