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【長崎】グラバー園にあるフリーメイソンの門柱の場所、どういう経緯で作られたものなのかを解説

グラバー園のフリーメイソンのシンボルが刻まれた門柱のある場所、どういう経緯で作られたものなのかなどを解説します。

フリーメイソンの門柱の場所

Map20161224
▲ フリーメイソンの門柱は旧リンガー住宅の横にあります。グラバー園内を順路通りに進んでいくと見ることができます。

ただ、木が生い茂っていて、門柱のデザインもわりと地味なので見落としがちです。フリーメーソンのマークは門の柱頭に刻まれています(左右ともに)。左側のマークは若干薄くなっているように見えます。注意深く探してみましょう。

なぜフリーメーソンのマークがある?


スコットランド出身のグラバーは21歳での若さで長崎へ来て、貿易会社ジャーディン・マセソン商会の長崎支部としてグラバー商会を設立しました。


主に武器の輸入を行うことで莫大な富を得て活躍しました。

坂本龍馬などの幕末の志士達と深い関わりを持ち、日本の歴史を変えた人物とも言われています。

そんな人物であることから、何か裏があるのではないかということがよく噂されます。


▲ グラバー邸には隠し部屋もあったりして、それらの要素がグラバーに関する都市伝説的な逸話を数多く生み出しています。


▲ 極めつけがこのフリーメイソンのシンボルが書かれた門柱です。

この門柱がグラバーはフリーメイソンのメンバーであり、巨大な権力が裏にあって・・・・という説の”根拠”として語られています。

しかし、現地に掲げられているフリーメイソン門柱の案内看板にはこう書かれています。

この門は、松が枝町47(旧小曾根町海岸通り47番)の住宅出入り口の門です。柱頭の彫刻は、フリーメーソンのマークで石工(メーソン)の使ったコンパスと定規を組み合わせたものです。
使用された石材が開港初期に居住地で盛んに使われた天草石であり、1865年(慶応元年)頃、47番の借地人がイギリス人であったことから、当時イギリスから渡来したフリーメーソンの人々が最初に定着したこの地に彼らのロッジのシンボルとしてマークを掲げたのもと思われます。


▲ 要は、全然別の場所から移設されただけということのようです。

しかも、この門柱があるのは旧リンガー住宅であって、今でこそグラバー園として整備された園内にあってグラバー関連の施設のようになっていますが、もともとは全然別の人の家ですしね。

ちょっと夢が無いというか、なんというか・・・笑

まとめ


▲ さらに言うなら、このフリーメーソンの門柱が松が枝町から移設されたのは昭和41年だそうで、幕末から明治に活躍したグラバーと関連付けて語ることはちょっと無理があるのかもしれませんね。

【参考サイト】
Wikipedia トーマス・ブレーク・グラバー

あやつられた龍馬―明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン
加治 将一
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Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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