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【平尾】菅原道真が座った石が平尾にある?!

菅原道真が座った石が平尾にある?!IMG 4736
▲ 平尾4丁目にある平尾八幡宮。

[map addr=”福岡県福岡市中央区平尾4丁目10−38”]
▲ 場所はこちら。福岡県福岡市中央区平尾4丁目10−38

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▲ 境内の案内板によると、

当八幡宮の起源は社家の説では、始は旧平尾村の南へ五町(約五五〇m弱)ほど旧高宮村に寄った場所に創建されました。その古宮の地は、仲哀天皇と神功皇后が熊襲平定・三韓遠征のため船で瀬戸内海を航行して九州に入られ那の大津に上陸して小憩された地と伝えられています。又天正の九州遠征の折、豊臣秀吉公も仲哀天皇と神功皇后の吉例にならいこの道を通られたと伝えられています。その場所にいつの時代からか里人が社祠を建て崇め祭るようになりました。

とのこと。

要約すると仲哀天皇と神功皇后が立ち寄った場所で、豊臣秀吉もこの辺りを通ったことから近隣の人が祠を建てて崇めるようになったのが平尾八幡宮のおこりということのようです。

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▲ そして、平尾八幡宮の本殿の横には「平尾天満宮」という小さな祠があります。

実はこの場所には菅原道真が立ち寄ったという言い伝えがあるのだそうです。

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▲ 案内板には

天満天神又の名を容見天神との言い伝えがある御社です。(中略)菅原道真公(当時五十七才)は、左大臣藤原時平の慚言により、昌泰四年正月二十五日俄かに、大宰府権帥として、左遷されてしまい、昌泰四年二月京都を、出発され瀬戸内海を航海のあと、三月博多袖湊に入港された道真公は博多の街は如何なるものかと思われ高い丘より眺めるのが、最上と平尾山麓の丘の下に船を寄せられ、左遷の地に第一歩を印されたのが、ここ平尾天満宮の土地でした。
丘の上にあった石に腰かけて博多の街をつくづく眺め、京での右大臣として華やかな日を追想され今は冤罪に問われる身となり哀れな我姿(容見)を顧えり見られて万感胸に、迫る思ひがあったとか菅原公の胸中察するに余りあるものです。

と書かれていました。

要約すると

平尾天満宮は、菅原道真が京都から左遷され博多の街を知るために高いところから眺めようと平尾天満宮の丘の下に船をつけて立ち寄り、この場所にあった石に腰掛けて町を眺めた

ということのようです。

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▲ 昔の福岡市周辺を描いたとされる絵図を見てみると確かに「平尾村」の近くには入江があって船でこのあたりまで行けるようになっていますね。

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▲ また、平尾天満宮は菅原道真が自分の哀れな姿を顧みた場所であることから「容見天神」という別称もあるのだそうです。

容見天神というと菅原道真が川に映った自分のやつれ顔を見てガッカリしたというエピソードが一般的ですが(参考→「菅原道真が川に映った自分の顔を見てガッカリした場所を探す」)、「自分の哀れな姿を顧みた」という説もあるんですね。

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▲ で、こちらが菅原道真が腰掛けたとされる石・・・・のレプリカです。

どうやらその石は残っていないようで現在はこうして復刻版の「菅公御休之石」が造られています。

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▲ 現在は建物に阻まれて博多の町を見渡すことはできませんが、昔はここから遠くまで見えていたのでしょうね。

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▲ 学問の神様としても知られる菅原道真を祀っているためか絵馬には合格祈願が多く書かれていました。

博多に左遷されて落ち込んだ気持ちでここにいたであろう道真公ですが、のちに受験生から祈願されるような場所になるとは夢にも思わなかったことでしょうね。

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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