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旧唐津街道を幕末〜明治にタイムスリップした気分で歩く

福岡市中心部を抜ける旧唐津街道。

昭和通りなどの大きな道路が整備されたので、今ではすっかり裏通り的な道になってしまっていますが、旧街道沿いには歴史を感じさせるものが残っていたりして見どころにあふれています。


より大きな地図で 福岡市中心部唐津街道 を表示

▲ 福岡市中心部の旧唐津街道はこのようなルートです。

▲ 今回は親不孝通りから一本横にそれたこの道から、唐人町あたりまでを幕末〜明治にタイムスリップした気分で歩いてみたいと思います。

▲ けっこう狭い道ですが この道が旧唐津街道です。

▲ 左手にすぐにみえるのがこちらの「西郷南洲翁隠家乃跡」の石碑。

幕末頃は この場所に醤油商の蔵があり、西郷隆盛がここを隠れ家にしていました。詳しくはこちらの記事に書いています → 「福岡市の親不孝通りに西郷隆盛がいた!?

▲ そして、少し歩くと右側に時代を感じさせる長屋風の建物が並んでいます。

▲ 古地図を見てみると家が74軒があり、317人が住んでいると書かれていますので上記のような家屋がズラリと並んでいたと考えられます。(※ 地図は「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み」【海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編】より引用)

▲ さらに100メートルほど歩くと、右側に沖屋という雰囲気のある建物の酒屋さんがあります。

明治の創業なのでこの辺りの雰囲気は昔からあまり変わっていないと思われます。

▲ そしてしばらく歩くと、右手に大きな駐車場が見えてきます。消防署の手前側です。

このあたり一帯に黒田家の広大な屋敷が広がっていました。

▲ 石碑も建てられています。

▲ そこから進んでいくと、今度はT字路に突き当たってしまいます。

しかし、昔はT字路にはなっておらず、これらの建物を突き抜ける形で道があったようです。

▲ 突き抜けた場所で昭和通りとクロスします。

▲ 古地図にはお寺が数軒並んでいます。

▲ 実際に確認してみると、やはりそのままの場所にお寺が残っています。

▲ お寺群の向かい側のトヨタレンタリースあたりを古地図で確認してみると・・・

▲ 何か変なものが書かれています。

実はここは「高札場」が設置されていました。

「高札」とは木の板に書かれた掲示板のようなものです。

何か重要な知らせなどがあった場合にはここに掲示されていたと考えられます。

▲ そして、ここから先は広大な敷地を持つ武士の屋敷が続きます。

▲ この辺りは左右にとんでもない大きさの屋敷がズラリと並んでいました。

▲ そして「荒戸」の交差点まで行くと右折し・・・

▲ すぐに左折します。

▲ この場所も昔は道が曲がっていたわけではなく、上記地図のように現在の建物部分を突き抜ける形で道があったようです。

▲ この道も左右にひたすら武家屋敷が続きます。

▲ しばらく歩くと、唐人町商店街が見えてきました。

▲ 昔はここに門が設置されていました。「黒門」です。

▲ 実際の黒門の写真がこちら。(※写真は「思い出のアルバム 博多、あの頃(葦書房)」より引用)

けっこう物々しい雰囲気を感じますね。

▲ 「黒門飴」というお店の前あたりに門があったようです。

黒門飴も歴史を感じさせる建物ですね。

▲ そして、唐人町商店街入口の左手にも味のある建物が残っています。

▲ 唐人町商店街は現在たくさんのお店でにぎわっていますが昔はこの一帯には下級武士の屋敷が広がっていたと言われています。

▲ 古地図には屋敷193軒、731人が住んでいたと書かれていますのですごい人口密度です。

地図に名前ものらないような武士たちがひしめき合いながら生活していたのでしょうね。

▲ そして、突き当りには善龍寺があります。

ここから左に曲がって唐津街道は続いていきますが、今回はここのあたりまで。

昔の様子を想像しながら街道沿いを歩いてみると楽しいですよ。

今回紹介したルートは3kmぐらいで散歩にも調度良いと思います。

【参考文献】
・古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編)
・思い出のアルバム 博多、あの頃(葦書房)

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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