【唐津】唐津市の歴史ある町並みを巡る その1
とある目的で唐津市にやってきました。
▲ 唐津駅に到着。
▲ 駅の中は「えきマチ1丁目」になっています。
九州各地のJRの駅はこの「えきマチ1丁目」という商業施設にどんどん生まれ変わっています。
同じクオリティーのモノがどの場所でも同じように手に入る便利な世の中になっている反面、土着的な匂いというものは消えつつあるような気がします。どこに行っても同じ場所にいるような気分。
これは良かったり悪かったりかもしれませんが。
ちなみに以前は「ミュー唐津」という商業施設でした。
▲ 唐津駅は駅前にたくさんのモニュメントが設置されています。
この鶴の像は筑肥線と福岡市営地下鉄が直通運転された際に記念として作られたもののようです。
おそらく唐津城の別称「舞鶴城」から発想されたデザインかと思われます。
▲ こちらは「唐津くんち」の唐津曳山。台座に固定させるためタイヤが半分埋まりキャタピラっぽいデザインに。これはこれでカッコイイです。
▲ それから「五足の靴文学碑」。
五足の靴は与謝野寛、北原白秋、太田正雄、平野万里、吉井勇が九州を旅し、東京二六新聞に発表した紀行文で、唐津には明治40(1907)年8月4日に立ち寄っています。
虹の松原を見た後、博多屋という旅館に泊まったそうです。
ちなみに、博多にも「五足の靴文学碑」があります。→明治時代から続く中洲の旅館 川丈(かわじょう)旅館
▲ 駅前の通り。こんなにスッキリしてたかなぁ。電線が地中化された?ような気もします。
▲ 駅前には昔ならではの佇まいを残す「山城屋食堂」。ちゃんぽんが名物のようですね。→ 食べログ 山城屋食堂
今度行ってみよう。
▲ 駅から呉服町商店街の方へ歩きます。
▲ 途中、いい感じの「トマソン」物件を発見。
▲ 不思議な階段とドアです。
▲ 呉服町のアーケードに到着。実は今回の目的はこれです。
▲ 呉服町商店街のアーケードは撤去されることが決まったようで、現在工事が進められています。
▲ アーケードの様子を記録しておこうと思い、今回唐津を訪問したわけです。
呉服町は江戸期から唐津城下の商業の中心地として栄えた場所で文化年中記録には
古来本軒三十四軒、南北一丁二十五間、当時家数人数百五十八人、引合五人組五十三人、内町年寄苗字帯刀御免一人、組頭一人、御肴屋一人、御用船問屋、酒屋四軒、糀屋一軒、薬屋一軒、質屋、寺安楽寺(「呉服町のはじまり」より引用)
と書かれているそうです。
明治35(1902)年に唐津に鉄道が開通したことで駅前商店街として更に発展しました。
▲ 昭和39(1964)年にアーケード化されましたが、やはり老朽化や商店街の衰退のため維持管理が難しいのかこの度撤去ということになったようです。
呉服町商店街横には京町商店街もありますが、こちらのアーケードは撤去されないようです。
▲ 唐津にはかなり古い建物も数多く残っています。
▲ 唐津市は戦時中にも空襲にあうことがなかったため、明治時代ぐらい建物もざらにあるのだとか。
▲ 次はアーケード商店街から出てさらにレトロな町並みを散策してみたいと思います。
次回に続きます。