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【福岡市】昔博多にあった水路「袖の湊」の痕跡?

博多リバレイン横の川岸に「川端の大水道」と書かれている溝のようなものがあります。


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▲ 場所はこちらです。


▲ 寿橋という橋のすぐ横です。


▲ 案内看板にはこう書かれていました。

「寿通」の下の暗渠は、以前、大水道と呼ばれていました。この大水道は「袖の湊」の遺跡の名残りで、黒田長政入国の頃から埋められ、下水溝化していたものです。明治12年に「寿橋」が完成したのにあわせ、翌13年、大水道に蓋をする工事が進められました。こうして暗渠の上に、幅一間半足らずの舗道ができ「川端新道」「片土居新道」などと呼ばれました。その後、道の両側は商店街に発展。道路の名前も寿橋にちなんで大正11年に「寿通」と改名しました。

寿通はもともとは堀か川のような水路でそれを埋め立てて造られた通りなのですね!

しかもその水路は「袖の湊」の名残りということのようです。


▲ ということはこういう感じで水路があったようです。綱敷天満宮の南側を通っていた水路のようです。


▲ 鎌倉時代をあらわした地図には袖の湊が描かれていますが綱敷天満宮との位置関係などピッタリ!(※絵図は地下道呉服町駅近くの案内看板より引用)


▲ そう考えると袖の湊はまさにこういう感じであったのかもしれませんね!


▲ ちょっとしたモニュメントですが、何百年も前の街の様子を知るヒントになりそうです。

古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み
宮崎 克則 福岡アーカイブ研究会
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Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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