【福岡市】七隈の菊池神社と六本松の菊池霊社
七隈の福岡大学近くに菊池神社という神社があります。そして六本松には菊池霊社というものがあります。
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▲ 七隈の菊池神社の場所はこちらです。
▲ 菊池神社の鳥居
菊池神社は鎌倉時代の武将、菊池武時(たけとき)を祀った神社です。
菊池武時は1333年に後醍醐天皇の密命を受けて、鎌倉幕府を倒すことを計画していました。
後醍醐天皇はなぜ鎌倉幕府を倒したかったのかというと、それまでずっと天皇が政治を行っていたのに、鎌倉幕府によって武士が政治を行うことになってしまい、それをもう一度天皇が政治を行う体制に戻したかったからです。
菊池家も鎌倉幕府に不満を持っていました。モンゴル帝国が日本に攻めてきた元寇のときに奮闘したのにも関わらず、満足な恩賞をもらえなかったことや、北条氏から良い待遇をされなかったことで幕府を倒す決意をしました。
博多の祇園あたりに鎌倉幕府の出先機関の鎮西探題(ちんぜいたんだい)があり、菊池武時はそこを攻めることにしました。
▲ 菊池神社の社殿
菊池武時は味方の少弐貞経と大友貞宗に一緒に戦おうと伝えるために使者を送りましたが、同意を得ることができませんでした。
あとに引くことのできなくなった菊池武時は百人ぐらいの少ない人数で鎮西探題を攻めましたが、全滅してしまいました。
▲ 菊池神社の案内看板
その戦いから約600年後、幕末1800年代になると、再び尊王攘夷運動(そんのうじょういうんどう)という形で幕府を倒そうという動きが出てきました。
1831年、菊池氏の子孫である城武貞が倒幕のために戦った先祖を祀るために菊池武時の墓を探し、神社を建てました。それが現在七隈にある菊池神社です。
▲ そして、六本松には菊池霊社というものがあります。
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▲ 菊池霊社の場所はこちらです。
菊池霊社は尊王攘夷派として有名な平野国臣が中心となって建立したものだと言われています。
七隈の菊池神社は菊池武時の胴体を祀った胴塚、六本松の菊池霊社は首を祀った首塚だとされています。
そして、1978年(昭和53年)、鎮西探題があったと付近だと言われている祇園町の東長寺前で地下鉄工事をしている時に110体分の火葬された遺骨がまとまって見つかったそうです。
14世紀前半に埋没した溝の上から出土したこと、刀傷がある遺骨も含まれていたことから、菊池一族の遺骨ではないかと言われています。
菊池武時は戦いで敗れてしまいましたが、その後の鎌倉幕府の倒幕運動のきっかけとなり、2ヶ月後には鎌倉幕府は滅亡してしまいました。
【参考文献】
・福岡歴史探訪〈南区・城南区編〉(柳 猛直 著/海鳥社)
・博多 旧町名歴史散歩(日高 三朗・保坂 晃孝 著/西日本新聞社)
・Wikipedia 菊池武時
・Wikipedia 鎮西探題