道端や神社などで みかける「庚申」の石碑は何のためにあるの??
▲ みなさんは道端や神社・お寺の境内などで「庚申」と書かれた石碑を見かけたことはないでしょうか?
「庚申」は「こうしん」と読みます。これって一体なんのために建てられているのでしょうか?
▲ こちらは福岡市中央区の大名で見つけたものです。
▲ 場所はこちら。小道の曲がり角にひっそりとありました。
▲ 「庚申神」と書かれていますね。
▲ そしてこちら。
▲ 福岡市中央区の六本松の小道で発見しました。
▲ 「庚申天」と書かれています。
実は、この石碑は江戸時代に流行した、ある信仰に由来があります。
江戸時代頃には、人間の体の中には「三尸(さんし)虫」という虫がいて、日々の悪事を監視していると考えられていました。
庚申の日(暦には十干と十二支を組み合わせた60を周期とする数詞が決められている → 詳しくはこちら)になると、寝ている間に体の中にいる三尸虫が閻魔(えんま)大王に その悪事を報告しに行くと言われていました。
そして報告された内容によっては寿命が短くなったり、死後に地獄に落とされたりするのだそうです。
「じゃあ、寝ている間に三尸虫が閻魔大王に報告にいくのなら、寝なきゃいいじゃん!」
ということで始められたのが「庚申待(こうしんまち)」です。
庚申待の時には近所の人達で集まって徹夜をして お酒を飲んですごす ということが全国的に流行していたそうです。
庚申待を3年間(18回)繰り返すと、その記録として「庚申塔」や「庚申天」と刻んだ石碑を建てたのだそうです。
街道沿いや集落の入口など、江戸時代までは いたるところにたくさんの庚申塔があったと言われています。
しかし、明治になると庚申信仰は迷信であるとして明治政府によって多くの庚申塔が破壊、撤去されました。
また、道や土地の開発によって撤去されたものや、移設されてそのままわからなくなったものも多いのだそうです。
お寺や神社、小さな小道などに残っていることが多いのは、そういった撤去作業を免れたからだったのですね。
もしかしたら家の近くの小道を歩いてみると庚申塔が残っているかもしれませんので探してみて下さいね。
【参考文献】
・Wikipedia 庚申塔