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【橋本】橋本八幡宮のクスの木とマキの木がつながる

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橋本八幡宮のクスの木とマキの木がつながっていました。

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▲ 木の葉モール橋本の近くに突如現れる森。

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▲ ここには橋本八幡宮があります。

[map addr=”福岡県福岡市西区橋本2丁目29−4”]
▲ 場所はこちら。福岡県福岡市西区橋本2丁目29−4

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▲ 「鎮守の杜」という表現がぴったりな場所。雰囲気あります。

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▲ 案内板によると

この八幡宮は今から五百年前文明十四年(一四八二)に、柴田蔵人佐繁信父子によって初めて建立されたもので、(中略)蔵人佐の先祖は陸奥国(今の宮城県)柴田郡の豪族で一説には越後国(今の新潟県)柴田の人ともいい、故あって一族郎党を引き連れて、橋本にやってきました。その時、郷里の八幡宮の分霊をこの地に迎え社殿を建てたと伝えられております。

境内の北側あたりに、黒田藩主の別荘茶屋がありました。三百五十年前の頃のことで、三代光之公は橋本の人を母として生まれ、この地で幼時を過ごしました。(中略)光之公は産土神として八幡宮を崇敬し、寛文六年(一六六八)西新町紅葉松原に立派な社殿を建てて遷宮しました。

橋本の人はここから遥拝しておりましたが、たっての希望で後に社殿を再建し、以来数度の改築が行われ、現在の拝殿は明治二年に、神殿と渡殿は大正七年に改築されたものです。

とのことです。

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要約すると、

・陸奥国の柴田家が訳あってこの地にやってきた際、郷里の八幡宮を分社し、橋本八幡宮が建てられた

・黒田家三代藩主の光之は橋本の出身だったため、この八幡宮も移転させられ現在の紅葉八幡宮となった

・しかし、橋本の郷土の人の希望で再建され現在の橋本八幡宮になった

ということのようです。

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▲ 境内には末社がいくつかあります。

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▲ 本殿の真裏にも末社がある、と思ってよく見てみると阿弥陀如来がありました。

神社に仏様。神仏分離を免れたものなのでしょうね。

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▲ 橋本八幡宮の境内にはたくさんの巨木がそびえ立っているのですが、何やら案内板が設置された木がありました。

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▲ 「きずな」と書かれています。

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▲ 案内板には「槇と楠の幹が地上約7メートルで繋がっています。」と書かれています。

どういうこと?!とおもって見上げてみると・・・・






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▲ おぉ!なんかスゴイことになってる!!

枝というか幹が伸びているほうがクス、受け止めている方がマキだそうです。

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▲ にしても・・・見事なほどに食い込んでいますね・・・

絶妙に良い位置に幹が伸びたのでこんな形になったのでしょうけど、これ、このまま成長し続けたらどうなるんでしょうか?

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▲ なんだか不思議なことになってる木、「きずな」ということで恋人に人気のスポットになったりしているのでしょうかね?

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福岡を中心に九州各県のちょっと変わった観光スポットを日帰り旅行で巡っています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)
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