【福岡市】天神付近の不思議な曲がり角がなぜそうなっているのかを古地図から探る
福岡市の天神や大名付近には「なぜこんな形になっているの??」という不思議で気になる曲がり角がいくつかあります。
そんな曲がり角をいくつかピックアップし、なぜそのような形になってしまったのかを古地図で探ってみました。
紺屋町商店街にある曲がり角
▲ まずは大名の紺屋町商店街にあるこの曲がり角です。
▲ この緑色の矢印の部分、入江書店という古書店がある場所です。
大名周辺は道が直線になっておらず、このカーブのように一度曲がってから また まっすぐ進む形になっている場所が多いです。
▲ 江戸時代の地図を確認してみても、現在と全く同じような形になっています。(※「福岡城むかし探訪館」に展示されている地図)
実はこのような道筋は江戸時代に城下町の防衛機能として作られたものだと言われています。
▲ 道筋が直角になっていると、攻めてきた敵は先が見通せません。
ですので、道が曲がった先で待ち構え、敵が角に侵入してきたところを攻撃することができます。
そのためにあえて道筋を直角にしているのです。
お城の防衛のために工夫して作られた道だったのですね。
西鉄グランドホテル横の不自然なカーブ
▲ 西鉄グランドホテル横の不自然なカーブも上記の紺屋町商店街にある曲がり角と同じ理由でこのような形になっています。
▲ ストリートビューでも確認できます。
福岡市のホームページの「天神~大名のS字カーブ」によると、
明治43年の市内電車(路面電車)開通の際、「このカーブは運転上差し支えがあり、電車を直進させたいので天主堂の立ち退きを」と電車会社が教会側に交渉しましたが、話がつきません。そこで教会側が、当時の大政治家でクリスチャンだった原敬(洗礼名=ダビデ・ハラ、後の総理大臣)に相談。鶴の一声によって電車会社側が折れ、S字カーブはそのまま残されました。
とのことで、ちゃんと理由があって現在の形になっているということがわかって面白いです。
けやき通り周辺の直角カーブ その1
▲ 赤坂のけやき通りの裏通りにも直角カーブがありますよ。
キレイな形の曲がり角ですね。
▲ ストリートビューで見るとこんな感じです。
▲ 古地図を見てみると、ここも江戸時代からず〜っと変わっていないんです。(※地図は「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編)」より引用)
けやき通り周辺の直角カーブ その2
▲ さらにもう一個。
▲ 一度、お侍になったつもりでストリートビューを歩いてみて下さい。
曲がった先に敵がいるのではないかとドキドキしますね。
▲ 古地図ではこんな感じ。このあたりはお城の中核部分に非常に近い場所ですので特に厳重にしていたのかもしれません。
赤坂の直角カーブ
▲ 最後は地下鉄赤坂駅近くのこの曲がり角です。
▲ この緑色の矢印の部分、結核予防センターがある場所です。
▲ この道に入るとすぐに直角に曲がって別の道に入ってしまいます。非常に気になりますね。
古地図を確認してみると・・・
▲ こちらはお堀の「横矢掛り」のなごりのようです。
「横矢掛り」とは
侵攻する敵に対して側面から攻撃する行為を指す。実際には弓矢のみならず鉄砲による射撃などを含む。人間の目は顔の正面についているので、前方で展開する敵の行動はつかみやすい。しかし側面で展開する敵の動きを同時に認識し、対処するのは困難である。よって側面からの攻撃は、侵攻する敵に対処する有効な方法といえる。側面だけの攻撃では、十分な効果は期待できない。あくまで正面からの攻撃と併せると一層の効果が得られる。城郭では敵の側面に攻撃ができそうな部分に石垣・土塁・櫓・塀などを張り出させておく。これを横矢、横矢掛り(よこやがかり)という。(敵から守る横矢より引用)
というものです。簡単に言うと、まっすぐだと一方向からしか攻撃できないけれども、直角にしておくと二方向から攻撃できるというものです。
福岡城は江戸時代に黒田官兵衛によって築かれたものですが、今でも黒田官兵衛の工夫の跡が街中に残っているのは とても興味深いですね。