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【東公園】大正天皇ゆかりの松原水の井戸

東公園には大正天皇ゆかりの松原水の井戸があります。

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▲ 福岡市民体育館横の公園の一角にこのような東屋や碑が建てられています。

[map addr=”福岡県福岡市博多区東公園9−1”]
▲ 場所はこちら。福岡県福岡市博多区東公園9−1

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▲ 横に設置されている案内板には

明治初期、まだ井戸水を利用していたころ、博多部の井戸は水質に恵まれず、そのため飲料水は当時の那珂郡千代村一帯(現在の博多区千代付近)に続く松林(千代松原)の砂地から汲む井戸水を運んでまかなわれていた。これも次第に建て込む人家の家庭汚水で利用できなくなってきた。

そこで明治二九(一八九六)年 福岡市は、飲料水確保のため千代村堅粕(現在の博多区東公園)の東公園内の国有地約一アールを年間一円八銭で借り受け、工費五〇円で市設の井戸を掘った。これが「松原水」の起こりである。

明治三四(一九〇一)年には、福岡市による「市設井戸取締規程」が定められている。井戸には看守を置く事、汲む者は給水許可証を携帯すること、料金は一石(一八〇リットル)に十銭宛などと細かく規定して本格的に管理された。

このようにして、業者も水桶一二個積んだ大八車をガラガラ引いて、戸別に配達したため、上水道通水(大正一二年)まで、松原水売りは博多の風物詩であった。

なお、明治三三(一九〇〇)年 皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)が来福の際、飲料水として使われ、記念の石碑が傍に建っている。

と書かれていました。

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▲ 案内板を要約すると明治初期には千代周辺は松林でその砂地にあった井戸から水を汲んでいたけれども人が住み始めて水質が悪化して使えなくなったため福岡市主導で東公園のこの場所に井戸が掘られたということのようです。

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▲ 井戸は現在も残っており、このように周囲に柵が設置されて網で塞がれていました。

これが博多の水のライフラインになっていたのですね。

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▲ 案内板の通り、横には皇太子嘉仁親王(大正天皇)が飲料水として使われた事を示す碑も建てられています。

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▲ 大正天皇は明治33(1900)年の10月から約2ヶ月間、北部九州一円の軍事演習の様子や産業施設を視察し、福岡市内で立ち寄った各所にその足跡が残されています。

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香椎宮 小散策(もっと知ろう、香椎宮)のページには、

嘉仁親王(大正天皇)は明治33年10月、北九州一円に行啓された折り、香椎宮に寄られました。当時、香椎宮近辺は赤松の林が広がり、松茸狩りで有名でした。皇太子が松茸狩りを楽しまれた祭、あまりにも沢山採れるので「殊更に植えにしはあらずや」とヤラセを見抜き、お付きの者や関係者を慌てさせたそうです。

と書かれていました。

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▲ 香椎宮の境内には嘉仁親王(大正天皇)お手植えの松が現在でも残っています。

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▲ そして西公園にも「お手植え」の松と桜があります。

西公園 記念碑マップのページによると、

明治33年10月28日、皇太子嘉仁親王(大正天皇)が西公園に巡幸、荒津山公園の頂上に松・桜を植樹されたのを記念して建立された。

とのこと。

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▲ 横にはちゃんと碑も建てられていました。

探してみると色んな所に行啓の足跡が残っているものですね。

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▲ ちなみに松原水は甘露のような味で大変美味しかったのだそうです。

飲んでみたいのですが今はもう湧いていないのでしょうかね?

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Y氏こと山田孝之が福岡のちょっと変わった観光スポットや路上ネタを紹介します。著書:福岡路上遺産(海鳥社)
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