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【三宅】大和朝廷の出先機関があった神社のユニークなあれこれ (人面瘡?!)

福岡市南区の三宅に若宮八幡宮という神社があります。[map addr=”福岡市南区三宅2丁目23-2″]
▲ 三宅小学校の横です。

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▲ 小学校の校門の真横が鳥居という立地です。

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▲ 案内看板にはこのように書かれていました。

筑紫官家跡

6世紀のはじめ、大和朝廷は、北部九州の豪族磐井の反乱をおさえましたが、その後の筑紫近辺の支配の強化、内部統一や対外交渉の重要な拠点として官家を設けました。官家の呼び名が南区の「三宅」という地名に残っていることから、その場所は大橋付近という説もありますが、遺跡や遺物が確認できておらず詳しくはわかっていません。

九州の大部分を占領していた豪族”筑紫君磐井”は強大な力を持つ大和朝廷に従わない一族でした。

従わないどころか、自分たちで独立国を作ってしまおうと考えていたほどで、大和朝廷もかなり手を焼いていたようです。

また、磐井は朝鮮半島の新羅ともつながりがあったので何としても潰しておきたいと考えていたようです。

結果的に大和朝廷が磐井を倒して支配下に置くことになったわけですが、いつまたこうした大きな勢力が出てきて反乱を起こすとも知れないので九州に大和朝廷の出先機関「筑紫官家」を作りました。

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▲ 現在 若宮八幡宮となっているこの場所が筑紫官家の跡と考えられているというわけです。

「筑紫官家」→「宮家」→「三宅」という具合に地名にそのなごりがあるのですね。

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▲ 神社の右側にあるこの手水鉢(ちょうずばち)は筑紫官家の柱の礎石として使用されていたものだという説も。

だとしたら1500年ぐらい前のものということ?!

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▲ 緑色の賽銭箱。

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▲ 本殿。

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▲ 本殿の上に謎のゴールデンおじさんが!踏ん張って神社を支えています。

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▲ ユニークな表情です。これは何を表しているのでしょうか?!岩に封印された孫悟空のようにも見えます。

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▲ そしてもう一つ面白いものを発見。こちらの木が活けてある鉢。

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▲ よく見ると・・・

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▲ 何やら狛犬風のカワイイキャラが!

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▲ そして逆サイドには・・・

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▲ 面白い顔が!人面瘡風です。

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▲ 「オレがだんだん大きくなってやがてお前を支配するぜ」とか言い出しそう。

筑紫官家そっちのけでゴールデンおじさんや人面瘡が気になって仕方がないです。

ちなみに最近の調査では筑紫官家は別の場所にあった説のほうが有力視されているとのことです・・・・・・。

【参考サイト】
大宰府の前身は三宅の若宮八幡宮にあった?

大和朝廷成立の謎 古代出雲王国から邪馬台国へ
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Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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