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【福岡の絵葉書】須崎公園の場所にあった日本赤十字社福岡支部の門柱

須崎公園の場所にあった日本赤十字社福岡支部の門柱は今どこに??P1020479
▲ 先日の野外音楽堂に続き須崎公園ネタです。

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▲ 現在の須崎公園の場所には明治35(1902)年〜昭和20(1945)年の間、日本赤十字社福岡支部が置かれていました。

もともと日本赤十字社は西南戦争の惨状を少しでも救おうと佐野常民が設立した博愛社がルーツになっていて、その後、日本赤十字社となり全国に支部が作られました。

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▲ 福岡支部は明治21(1888)年に福岡県庁内に設立され、明治32(1899)年に現在の須崎公園の場所にフレンチルネサンス様式で木造2階建の建物が造られました。

この場所が選定されたのは、ここが陸軍用地で無償で借りることができたからだそうです。

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▲ 須崎公園の場所は江戸時代に福岡藩の砲台が置かれていた場所で、明治維新後にその流れで軍用地となっていたのでしょうね。

その台場跡の石垣は現在でも須崎公園の北側に残っています。

日露戦争や第一次世界大戦の時にも日本赤十字社は捕虜の人道的な扱いに取り組んでいます。

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▲ 青島(チンタオ)で捕虜となったドイツ兵が福岡に連行された際には、国際条約(ハーグ条約)を順守したもので、労働に対しては日本の将校・兵卒と同様の給与が支給され、本国との手紙のやり取りが許されていたり、飲酒も許されていたりしたそうです。

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▲ ドイツ軍の総督、将校らは日本赤十字社の福岡支部の建物に収容され、丁重な扱いを受けたと言われています。

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▲ そんな日本赤十字社の福岡支部ですが、福岡大空襲の際に焼けてしまい、その後、大楠へ移転しました。

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▲ 現在は福岡赤十字病院と併設して建ち、前の大通りは日赤通りと名付けられています。

でも、実は一つだけ須崎から移設されて現在でも残っているものがあります。

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▲ それがこちらの門柱。

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▲ 昔の写真を見ると同じものがありますね。

これだけは空襲でも無事で、福岡市の有形文化財として大切に保存されています。

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▲ 現在の日本赤十字社福岡支部にある門柱は内側の2本で、外側の2本は久留米市宮ノ陣にある久留米赤十字会館に移設されているのだそうです。

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▲ また、日本赤十字社福岡支部の門柱が柳川の立花邸「御花」の門柱にそっくりなのは、同じ人が設計に携わったからだそうです。へぇ〜!

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▲ ちなみに、須崎公園の場所に日本赤十字社福岡支部があった関係かどうかわかりませんが、少し前までは須崎公園横の須崎ビルには献血ルーム北天神がありました。

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▲ 現在、須崎ビルの献血ルーム北天神は無くなっていますが、ビルの壁に赤十字マークの痕跡が少しだけ残っています。

【参考サイト】
指定文化財候補資料一覧及び位置図(PDF)
Wikipedia日本赤十字社

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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