謎の山荘通3丁目
謎の山荘通3丁目・・・一体どうしてこうなった??
▲ 平尾5丁目にある平尾山荘。
[map addr=”福岡県福岡市中央区平尾5-2-28″]
▲ 場所はこちら。住所:福岡県福岡市中央区平尾5-2-28
▲ 幕末期の歌人、野村望東尼の旧宅だった場所です。
野村望東尼は平野国臣、中村円太、月形洗蔵、早川養敬などの福岡の勤王思想を持つ藩士と関わりを持ち、長州藩の高杉晋作も長州藩内で立場が危うくなった時にここに逃げてきて10日ほど滞在したと言われています。
幕末当時は周囲には何もない山の中で隠れ家としては最適な場所だったのだそうです。
[map addr=”福岡県福岡市中央区山荘通3丁目”]
▲ その平尾山荘の近くに「山荘通」という町名があるのをご存知でしょうか?
ここだけ、こんな小さな区画が旧町名のまま残っているんです。
[map addr=”福岡県福岡市中央区古小烏町”]
▲ 福岡市だと中央区の「古小烏町」なんかが小さな区画で、かつ旧町名が残る場所としてよく知られていますが、「山荘通」もあったとは!
▲ しかも、この「山荘通」の不思議なところは「山荘通3丁目」しかないんです。なぜ?!
気になったのでいろいろと調べてみると、下記のページを発見しました。
福岡市中央区にある山荘通り3丁目の前にあるはずの1丁目と2丁目はなぜ無いんですか?
↑こちらのページの回答者の方が市役所に問い合わせをされたようで、その回答は、
昭和46年以前は、山荘通一丁目から三丁目までありました。
昭和47年の住居表示実施により、
山荘通一丁目、二丁目は
平尾二丁目、平尾四丁目、平尾五丁目に変更となりました。
その際、明瞭な地形地物である道路で区切ったため、
山荘通三丁目の一部が残った形となりました。
その後、周辺地区も住居表示を実施しましたが、
地元にある「平尾山荘」とゆかりがある
「山荘通」という町名を残したい
という地元の方々の要望もあり、
そのままとなっています。
というものだったそうです。
なるほど、地元の人の要望でこのようにそのまま残される形になったんですね。
1、2丁目が抜けて3丁目みたいな場所って他にもあるんでしょうかね??