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サザエさんがお魚くわえたドラ猫を追っかけたのは福岡だった そして その理由もけっこう深かった

とある知人がサザエさんは福岡県が舞台であると言っていました。

言われてみれば、福岡・・・サザエさん・・・うっすらとした記憶の中になんとなく つながりがあるような気がしないでもありません。

▲ よくよく考えてみると、そういえば「サザエさん通り」という道が百道浜あたりにあることを思い出しました。

西新〜福岡タワーあたりまでの道です。

この道をなんとなく覚えていたことで 僕の中で ほんのりとサザエさん=福岡という図式が浮かび上がったようです。

サザエさん=福岡が事実なのか、さっそく調査してみたいと思います。

サザエさん発案の地

▲ サザエさん通りに行ってみました。

▲ 確かに控えめな看板にサザエさん通りと書かれています。


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▲ そして、「西新通り」という交差点の一角に「サザエさん発案の地」という石碑が設置されていました。

▲ こちらがその石碑です。

▲ サザエさんの作者である長谷川町子が西新三丁目に住んでいて、このあたりでサザエさんの構想を思いついたということのようです。

▲ そして、サザエさんは元々は「夕刊フクニチ」という福岡の地方紙で連載されていたようです。

う〜ん、もしかしたらこの夕刊フクニチを調べてみたら設定がどの場所であるかということが書かれているかもしれません。

夕刊フクニチ掲載分は単行本化されていない・・・

ネットで調べてみますと、どうやら夕刊フクニチに掲載されていたものは単行本化されていないようです。

▲ 「よりぬきサザエさん」という単行本に第一話が掲載されているのみで、その他は夕刊フクニチの原本を確認するしかないようです。

▲ ちょうど図書館が近くにありますので夕刊フクニチが閲覧できないか聞いてみたいと思います。

マイクロフィルム化されたデータなら閲覧可能

▲ 受付の人に聞いてみたところ、原本の閲覧はできないがマイクロフィルム化されたデータなら閲覧が可能とのことでした。

さっそく受付を済ませ、閲覧してみようと思います。

※マイクロフィルム化されたデータを閲覧する場合は免許証による本人確認など、けっこう本格的な受付が必要でした。

初期サザエさんの世界観

まず、昭和21年(1946年)4月22日の記念すべき第一話。

実はこの第一話は「発案の地」に設置されていた案内看板で読むことができます。

フネ(母)がカツオとワカメを紹介し、サザエを呼びます。

すると、サザエはまんじゅうを食べながら「ナーニ?」と出てきてフネが「どうもあんな風だから困ります」というオチ。

第一話から後のサザエさんにつながるキャラクター設定はできているようです。

そして翌日4月23日の第二話。

サザエが「ひとつ新しい代用食でも作ろうかな」と言って料理をはじめます。

「代用食」とは米の代わりとなる食べ物のことです。

ラジオから聞こえてくる調理法にしたがって芋の切りくず、煮干しのくずなどを混ぜて料理していたら、「ただ今はニワトリの餌について申し上げました」と言われるというオチ。

戦後間もない時期なので、初期作品には「代用食」が出てきたりして当時の時代背景が色濃く反映されているようです。

その他にも「闇市」「引揚者」「MP」など戦後ならではの単語がたくさん出てきます。

場所の設定はどこなのか【方言】

はっきりとどこに住んでいるという情報は出てきませんが、チラチラと福岡を連想させるシーンが登場します。

まず、方言。

サザエや波平が口癖のように言っているのが「ナッチョラン!(=「まったくなってない!」の意)」という言葉。

初期作品では筑豊弁の「〇〇ちょらん」を頻繁に使っています。

作者の長谷川町子の父親が炭鉱技師をしていたことから筑豊弁が染み付いていたのかもしれません。

こういった言葉づかいから福岡を連想させます。

場所の設定はどこなのか【内輪ネタ】

掲載されている夕刊フクニチに関する内輪ネタのような作品もあります。

例えば、昭和21年(1946年)8月1日掲載分。

ある男が「フクニチ募集の『生きる』にいい材料ないかなあ」と言います。

この「生きる」とはこの時期に夕刊フクニチが行なっていた福岡で戦後をたくましく生きる人の写真を募集する企画です。

その男がサザエが肥(こえ)を運んでいるのをみつけ、「ちょっと写真機を持ってきます 新聞に出したいのです」と言い、カメラを持って戻ってくるとサザエが着物を着てキレイにおめかししていた、というオチの作品です。

こういった内輪ネタのようなローカルネタからもやはり設定は福岡であると考えられます。

場所の設定はどこなのか【家系図】

サザエさん通りの突き当りにあるTNC会館にサザエさんグッズが売られていました。

その中に、サザエさんの家系図の絵巻物がついたお菓子を発見したので買ってみました。

▲ 家系図を確認してみると、先祖は磯野藻屑という人物で九州にいたことが記されています。

そして「御先祖さまはお彼岸にオハギを三十八個も食べて大評判をとった。」と注釈が付けられています。

武士の正装である熨斗目(のしめ)を着ていること、バックにお城が描かれていることから おそらく格式の高い人の前でオハギの大食いを披露したものと考えられます。

このエピソードは福岡民謡「黒田節」の「酒は呑め呑め 呑むならば 日本一(ひのもといち)のこの槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞ真の黒田武士」を地で行くような話で、黒田節のオマージュとも取れます。

これはさすがにこじつけでしょうか・・・?

しかし、上記の諸々を考えてみると、やはり設定は福岡であると考えても問題はないようです。

お魚くわえたドラ猫を追っかけたエピソード

サザエさんのオープニング曲の冒頭部分、「お魚くわえたドラ猫 追っかけて 裸足でかけてく」のエピソードも初期作品ですでに登場しています。

ですので、お魚くわえたドラ猫を追っかけたのは福岡だったと考えられます。

でも、このエピソード、けっこう意味がわからないですよね。

まず、魚をネコにとられる、という状況がよくわかりません。

ネコに取られてしまうような場所(状態)に魚を置いておくのも不自然です。

また、取られたものをわざわざ追いかけるというのも異様に思えます。

ネコが口にしたものを食べるのは抵抗がありますよね。

しかし、原作を読んでみると、このエピソードの疑問がことごとく解決されます。

連載開始から約1ヶ月後、昭和21年(1946年)5月31日掲載分で早くも登場します。

適当な絵で申し訳ないですが、再現してみます。

▲ サザエは魚の配給を配る係のようで、「配給ー」と言って人を集めています。

足元には魚が並べられています。

▲ まず、田中さんという主婦に魚を渡します。

そして、吉田さんという主婦も名前を名乗って魚をもらおうとしています。

▲ 気がつくと吉田さんの魚をネコがくわえて持っていこうとしています。

▲ サンダルのようなものを履いていて走りにくかったのか、素足になってネコを追いかける というオチです。

これを読むと歌詞の意味に納得できます。

戦後に配給として魚を配っている時のエピソードだったのですね!

・ネコに魚をとられる状況 → 配給の物資として並べていたから

・わざわざ追いかけた理由 → 戦後で食料が不足していたため貴重だったから、配給を配る係としての責任感から

オープニングの歌詞の冒頭にこんな深いエピソードが隠されていたとは意外でした。

その後、舞台は福岡から東京に移る

その後、作者の長谷川町子が福岡かから東京に移住した際に、サザエさんの舞台も東京に移ったようです。

ですので、サザエさん福岡説は半分本当で半分間違いといったところですかね。

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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