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【福岡市】中洲にあった福岡藩の理化学研究所

幕末頃、中洲大洋映画劇場の向かい側の場所に福岡藩の理化学研究所がありました。


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▲ 、中洲大洋映画劇場の向かい側にあるセブンイレブンの横あたりをみると・・・


▲ ひっそりとこういう碑が建っています。

「福岡藩精錬所跡」と書かれています。

福岡藩最後の藩主、黒田長溥は「蘭癖」と呼ばれるほど西洋の技術に関心を持っていて、積極的に外国から色々なものを吸収していました。

福岡藩は佐賀藩とともに長崎港の警備を任されていたこともあり、海外の情報がいち早く入ってきていました。

黒田長溥は出島に福岡藩の藩士を派遣したりして技術習得に当たらせていたそうです。

そんな中で、当時ただの荒れ地であった中洲のこの場所に総合的な理化学研究所ともいえる「福岡藩精錬所」を建設しました。

精錬所では機械や蒸気機関、ガラス製品の研究などが行われており、のちの福岡の産業技術の基礎を築いたとも言われています。


▲ ちなみに、ここでガラス製品の研究をしていた小川宇平という人物が放生会名物の「チャンポン」を生み出したのだそうです。

【参考文献】
福岡藩精錬所/石村萬盛堂
Wikipedia黒田長溥

古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み
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ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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