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【中呉服町】選擇寺(せんちゃくじ)にある遊女 雪友の墓

中呉服町の選擇寺(せんちゃくじ)には博多柳町遊郭の遊女 雪友の墓があります。IMG 6547
▲ 中呉服町にひっそりとある選擇寺。

[map addr=”福岡県福岡市博多区中呉服町9-21″]
▲ 場所はこちら。福岡県福岡市博多区中呉服町9-21

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▲ 山門の横にある案内板には、

木造阿弥陀如来立像

ここ浄土宗の選擇寺は16世紀中頃開かれ、 17世紀には住吉の妙圓寺 の末寺となっています。この寺の本尊として祀られているのが、木造阿弥陀如来像です。

この仏像は、高さ119.4cm、檜材を用いた寄木造で、肉身部は漆箔を施し、頭髪と法衣は彩色を行っています。

広めの瞼に前方下方を見つめる彫眼の伏目、円満な顔立ちと頬のふくよかなふくらみ、 浅い彫りで流れるような美しい衣線文、腰部から垂下した衣文で量感のある 上腿じょうたいを表すなど、優美な象容とすぐれた彫技を示しています。

本仏像は行基の作と伝えられていますが、以上のような特徴から、平安時代後期の 作風と彫技を備え、京都や奈良の中央仏師により造られたものと考えられます。 この仏像は、本市に数少ない平安時代の仏像彫刻の優品として貴重な文化財です。

と書かれていました。

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▲ 今でこそ素朴な寺院ではありますが、お寺めぐりの友 選擇寺のページによるとかつては博多で一二を争うほど裕福なお寺だったのだとか。

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▲ そんな選擇寺には博多柳町遊郭の遊女であった雪友の墓があります。

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▲ 柳町遊郭は現在の大浜あたりにあり、柳町から近かった選擇寺が檀那寺(供養したり墓を建てたりする寺)となっていました。

博多風俗史〈遊里編〉(積文館)によると

同寺の過去帳には元和八年(一六二二)から明治元年(一八六八)までの江戸時代に約五八〇名の遊女と思われるものの死が記録されている。

とのこと。

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▲ ほとんどの遊女が戒名などもつけられずひっそりと葬られていったそうですが、この雪友は

文久元年六月二十七日に死んだ角屋の雪友二十才は、永代経十両を納めてもらい、墓まで立ててもらった幸運の遊女(博多風俗史〈遊里編〉(積文館)より引用)

だそうです。

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▲ なぜこの雪友だけがそのように丁寧な扱いを受けたのかはわかりませんが、なにか特別な人物だったのでしょうか。

雪友の命日である6月27日には毎年「紫陽花あじさい忌」という選擇寺の過去帳に掲載されている580人の遊女を供養する行事が行われています。

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▲ ちなみに祇園町の萬行寺にも名月という遊女の墓がありますが、博多風俗史〈遊里編〉では伝承・伝説であるとされていました。

博多風俗史〈遊里編〉 (1968年)
井上 精三
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Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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