【日田】日本最大級のダム反対運動「蜂の巣城紛争」の舞台にもなった下筌(しもうけ)ダム
日本最大級のダム反対運動「蜂の巣城紛争」の舞台にもなった大分県日田市と熊本県阿蘇郡小国町にまたがる下筌(しもうけ)ダムを見に行ってきました。
▲ 下筌ダムは高さ98mのアーチ式コンクリートダムです。
・筑後川の治水
・日田市への利水
・水力発電
などを目的として作られたものです。
▲ 昭和28(1953)年6月、北部九州で発生した豪雨の時に筑後川流域で26ヶ所の堤防が決壊して多くの死者を出したことから洪水調節を目的としたダムの建造計画が策定されました。
しかし、ダムが作られることによって沈んでしまう場所の住人に対する補償の説明が不十分であったことから反対運動に発展。
この反対運動は結果的に日本のダム史上最大級のものとなり昭和33(1958)年から昭和46(1971)年までの13年間にわたって問題が泥沼化しました。
▲ 反対運動を行っていた人たちはダム建設予定地への籠城作戦を実行し、上の写真左側にある白い建物付近に「蜂の巣城」と呼ばれる砦を築きました。
そのため、この反対運動は「蜂の巣城紛争」と言われています。
蜂の巣城の実際の写真は「下筌ダム(再) [大分県](しもうけ)」のページなどで見ることができます。
建設の是非に関して、ついに法廷で争われることとなりましたが結果的に反対派の敗訴となり下筌ダムの工事が実行されることとなりました。
▲ ダムの上部にある橋
▲ 橋には「下筌ダム」の文字が刻まれていますが、これは反対運動の中心人物であった室原知幸が書いた「下筌ダム反対」の文字を流用したものであると言われています。
▲ また、ダムの湖の名前は「蜂の巣城紛争」にちなんで「蜂の巣湖」と名付けられ、激しい反対運動が行われたという歴史を伝えるものとなっています。
【参考サイト】
・Wikipedia 下筌ダム