崇福寺の瓦に十字架?
崇福寺の瓦になぜ十字架が?
▲ 博多区千代にある崇福寺。
[map addr=”福岡県福岡市博多区千代4丁目7−79”]
▲ 場所はこちら。福岡県福岡市博多区千代4丁目7−79
▲ 崇福寺は福岡藩主である黒田家の菩提寺としても有名なお寺です。
▲ 境内には黒田官兵衛をはじめとして、黒田家歴代藩主の墓が並んでいます。
▲ そんな崇福寺の表側にある山門。
さすが黒田家の菩提寺だけあってかなり立派なものです。
▲ でも実はこの門、もともとは福岡城にあったものなんだそうです。
▲ 福岡城本丸の入り口にあたる、本丸表御門として使われていた門を大正7(1918)年に崇福寺に移築して現在の形となったのだそうです。
▲ 福岡城に門があったときはこんな感じ。(写真は福岡城の案内板より)
石垣の形状に合わせて、今とは少し違った形だったようですね。
▲ お城の見取り図で本丸表御門を確認するとこちらです。(絵図は福岡城の案内板より)
▲ 福岡城本丸のメインにあたる門ですので黒田長政をはじめ、歴代の藩主たちがくぐってきた門なのでしょうね。
▲ 時代が時代なら凡人では絶対にくぐることができなかった門。
そう考えると、なんだかとても感慨深いです。
▲ そして、この門からは、ある面白いものが見つかっています。
なんと、この門の屋根瓦に十字架マークが刻まれているものが見つかったのだそうです。
▲ 黒田官兵衛がキリシタンであったことは有名です。
官兵衛は天正11(1583)年に洗礼を受けてドンシメオンと名乗っていました。
しかし、天正15(1587)年に秀吉によってバテレン追放令が出されるとキリスト教の信仰を捨てたと言われています。
この本丸表御門があった福岡城が造られたのは慶長6(1601)年のこと。
なので、信仰を捨てた後に建てられた門に十字架マークが刻まれていたということになります。
このようなことから、黒田官兵衛は表向きは棄教したけれども、実は心の内ではキリスト教信仰を守り続けていたとも考えられているのだそうです。
また、遺言でもキリスト教式の葬儀を行うことや、教会への寄付をすることを命じていたとも言われます。
▲ 福岡城本丸にあったこの門の十字架マークには、そういった信仰があらわれているのかもしれませんね。