大正時代の福岡市の地図
大正時代の福岡市周辺の地図を手に入れましたので、色々と観察してみました。
▲ まず、大きな違いが現在大濠公園になっている堀の埋め立てがまだ行われていないことです。
現在の堀の形と比較してみるとずいぶん形が違いますね。
大濠公園の堀の形が現在のようになったのは、今から約90年前の1927年(昭和2年)の「東亜勧業博覧会」の時です。
▲ 東亜勧業博覧会についてはこちらの動画が大変わかりやすかったです。
▲ 長浜あたりもまだ埋め立てられておらず、旧海岸線の位置がよくわかります。
旧海岸線についてはこちらの→「天神〜赤坂付近の旧海岸線を特定してみる」の記事で調査しています。
▲ 現在競艇場の向かい側辺りにある須崎公園の位置を見てみると、石垣が描かれています。
こちらは現在でもそのまま残っていて確認することができます。(→詳細はこちらの記事)
▲ 西南学院大学あたりは「百道松原」と書かれています。
今はほとんど松はなくなっていますが、以前はたくさんの松があったのだそうです。
▲ 一部の松が百道小学校の敷地内に残っていて、ここが唯一当時の面影を残す場所だと言われています。
▲ それから、今Y氏的に非常に気になっているのがこちらの箱崎にある水族館。昭和10年までここに水族館があったのだそうです。
こちらの地図には建物の配置まで描かれていますので非常に参考になりますね。今後の研究資料として役立ちそうです。
▲ 西公園のふもと辺りを見ると「午砲場」と書かれています。
これは大砲の空砲を撃ってその音で時間を知らせるものだったそうです。(※大砲の写真は西公園の案内看板より)
▲ 現在のこの場所です。住吉神社内には大砲があったことを示す石碑もありましたよ。→詳細はこちらの記事
▲ 中洲あたりを確認すると、たくさんの映画館・劇場の名前が書かれていて当時の繁栄ぶりがよくわかります。
まだまだ興味深いものが見つかりそうですので、引き続きじっくり調べてみたいと思います。