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▲▽▲天下の奇人「徳田真寿」を見に行く▲▽▲

ひと昔前に長崎県佐世保市江迎町徳田真寿という人物がいました。

慶応3年5月15日(1867年6月17日)に生まれ、明治・大正を経て、昭和19年(1944年)享年77歳でその生涯を終えました。

徳田真寿のパーソナリティに関しては上の写真を見ていただければ一目瞭然かと思います。

顔より大きなフレームのメガネ、家紋の着いたダブルのスーツ(下は袴を履いている)に巨大な懐中時計を抱えて、パイプをふかすその姿から彼についた異名は「天下の奇人」

数々の奇抜な行動やおもしろいエピソード、珍妙な遺品を残して、人々を楽しませました。

・・・と、ここまでが一般に知られている徳田真寿の姿です。

今回、長崎県佐世保市の江迎町に行き、ご遺族と知り合いの方から様々なお話を聞かせてもらうことができました。

徳田真寿に関しては図書館などで調べてみても資料らしいものは一切出てきません。

雑誌やWeb上でチラチラと情報が得られる程度で、徳田真寿の「天下の奇人」としての一面のみが強調されて語られています。

【Wikipedia 徳田真寿 より引用】
・自称「頓痴奇屋(とんちきや)主人」
・鉄道の運賃始め旅先ではすべて一銭銅貨で支払った
・旅行時には紋付きの洋服に袴ばき、シルクハットと特大の懐中時計を携行という特異な姿
・年賀状や暑中見舞い等の時候の挨拶状も洒落をふんだんに用いた特徴的なものであった
・あまりの奇行ぶりに警察に通報されることもあり、警察側から道中護衛をつけるのが例となった

しかし、今回江迎町で見聞きした徳田真寿は、これまで知られていたものとは また違った一面を持っているということがわかりました。

▲ まずは徳田真寿の遺品が展示されている江迎行政センターへと向かいました。

▲ この辺りはなかなか味のある街並みが残っています。

典型的な旧街道といった感じです。

▲ センターの方に徳田真寿の遺品を見せて下さいと尋ねると、非常に丁寧に案内して頂けました。※許可を得て撮影しています。

▲ まず目に入ったのが上の徳田真寿の写真でも確認できる巨大な懐中時計。

片手でギリギリ持てるかどうかの大きさです。

重さも結構ありそうです。

▲ 「CHRONOMETR ORNITH WATCH Co.」と書かれています。

調べてみると、ORNITH WATCH Co.はスイスのメーカーのようです。

今はもうなくなっているようです。(たぶん)

おそらく昭和初期頃に輸入されたものかと思われます。

▲ そして印鑑。

▲ この奇妙な形のものが実印だそうです。

▲ これを見た当時の人たちはビックリしたことでしょうね。

▲ 押印したところ。

▲ そして彼の最大のトレードマークが「三角形」。

▲ もう、とにかく何から何まで三角形で作られています。(それに合わせてショーケースまで三角形。)

▲ こういったお膳や

▲ 箸に至るまで、徹底的に三角形で統一されています。

▲ ちょっと使いにくそうですね。。。

この三角形にはちゃんと意味があるそうで、彼曰く

「三角形は円に通ずる。三角形を合わせると円になる。円は時間・空間・無限の発展性を表し、安定性もあり、一円融合の精神ともつながる。三角の膳をつなぎ合わせれば車座になり、みな輪になって喜びを共にできる」(Wikipedia 徳田真寿より引用)

という思想なのだそうです。

▲ 漆器は全て輪島塗りの特注品だそうです。

▲ 「大正十五年 輪島 船木久右衛門製」とあります。

着目すべき点は、これらの三角形の輪島塗りや箸、奇妙な形の印鑑、巨大な懐中時計など、非実用的なものをこの時代にこれほど所有できたという点です。

つまり、それほどの財力があったということです。

▲ この輪島塗りの漆器は70円で買ったと記されています。

大正15年で70円というと現在の価値に換算すると70〜80万円ぐらいです。

この時代の大卒の初任給が10〜20円程度だったそうですので、これがいかに高価なのかがわかります。

その財力の源泉はどこにあるのかというと、彼が行なっていた事業である金融業にあります。

明治、大正の時期には貸金業で財を成した者が多く徳田真寿もその一人であったと考えられるそうです。

徳田真寿の祖父は福島の実業家でしたが、事業が軌道に乗らず、そのため徳田真寿自身も若い時には大変苦労しました。

それをバネにしてか、徳田真寿は金融業で富を得ることができました。

また、苦労したつらい経験をはねのけるかのように、彼はストイックなほど奇抜な行動に走っていきます。

▲ そう考えると、種まきをするおかしな男も、

▲ ドジョウすくいをする滑稽な姿の男も、道化として振る舞うことで傷やコンプレックスを隠そうとする徳田真寿の現れなのではという気がしてならないのです。

▲ そして彼は70歳を過ぎてからダルマの絵を書き始めます。

ただひたすらに滑稽に落ち着きなく突き進んできた彼が、晩年を迎えて その対極に位置するような性質の「達磨大師」(達磨大師は9年もの間、壁に向かって坐禅をし続けて手足が腐って死んでしまった)を描き始めるのも、自分の人生に対して「静」を求めたからだといえる気もします。

このシリアスな表情にどんな思いを込めたのでしょうかね。

▲ 徳田真寿のお墓もまた奇妙な形をしています。


大きな地図で見る

▲ 場所はこちらです。

▲ 案内看板が建てられていました。

▲ 支柱には「如夢如屁テケレッツノパア喝」と書かれています。

「テケレッツノパア」とは落語『死神』に出てくる、死神を追い払う呪文だそうです。(てけれっつのぱ

▲ そしてこちらが墓石です。

やはり三角形です。

▲ 彼が生前に考えた戒名「○十院殿釈有耶無耶大居士(マルジュウインデンシャカウヤムヤダイゴジ)」と刻まれています。

▲ 家紋も刻まれています。

吾唯足知

▲ 還暦の道行でおどける徳田真寿

ご遺族の方は徳田真寿の「天下の奇人」としての面だけを強調されることを快く思われていないそうです。

ご遺族と知人の方が、ご遺族に徳田真寿の事を尋ねると「やさしい普通の父親だった」とおっしゃっていたそうで それが大変印象的でした。

また、時代とともに貸金業の規制も厳しくなり、さらにコレクションなどへの散財もたたってか、子孫の代にはそれほど裕福ではなかったそうです。

しかし、上の還暦の道行写真でも分かるように彼の周りには多くの人が集まり、愛されていました。

それは今でも「頓痴奇屋(とんちきや)主人」として伝説的に語り継がれています。

▲ 写真 Wikipedia 千灯籠まつり より。

彼が生涯を過ごした江迎町では毎年8月23日・24日に千灯籠まつりが開催されています。

その祭りのシンボルである灯篭タワーは三角形です。

人々はこの灯篭タワーをぐるりと囲んで踊ります。

徳田真寿の哲学である、

「三角形は円に通ずる。三角形を合わせると円になる。円は時間・空間・無限の発展性を表し、安定性もあり、一円融合の精神ともつながる。三角の膳をつなぎ合わせれば車座になり、みな輪になって喜びを共にできる」(Wikipedia 徳田真寿より引用)

を知ってか知らずか具現化しているのは非常に興味深いことです。

最近では地元でも徳田真寿について知らない人が増えてきているそうです。

しかし、この日ばかりは徳田真寿が灯篭としてよみがえります。

彼の魂は人々が円になって踊る姿を見て「しめしめ」と笑っているのかもしれませんね。

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福岡を中心に九州各県のちょっと変わった観光スポットを日帰り旅行で巡っています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)
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