メニューを表示

【福岡市】昭和初期まで鳥飼にあった炭鉱

昭和初期まで鳥飼には炭鉱があったということが「福岡歴史探訪〈南区・城南区編〉/柳 猛直 著:海鳥社」に書かれていました。

福岡歴史探訪〈南区・城南区編〉
柳 猛直
海鳥社
売り上げランキング: 1,213,305

本によると、現在鳥飼小学校がある場所に炭鉱があったのだそうです。


大きな地図で見る
▲ 鳥飼小学校はこちらにあります。


▲ 鳥飼小学校の校舎は炭鉱のボタ山(※ 石炭や亜炭の採掘に伴い発生する捨石(ボタ)の集積場 Wikipedia ボタ山より)の上に建てられているのだそうです。


▲ 山っぽさはありませんが、小学校の敷地が他のところよりも若干高さがあるのはそのせいなのかもしれません。

もしかしたら校庭を掘ったらボタが出てくるかもしれませんね。

鳥飼炭鉱は明治末頃から小規模な採掘が行われていて、大正時代に起きた第一次世界大戦の軍需景気で本格的に採掘がはじめられたそうです。


▲ 昭和2年発行の地図を確認してみると、確かに鳥飼小学校の場所に「炭鉱」という文字が書かれています。


▲ 現在からは想像もできませんが、その昔は一面が田んぼでボタ山だけがポツンとある場所だったそうです。

しかし、炭鉱自体は大変賑やかだったそうで、「煤煙天を覆い機関の響き地を震わすの盛況を呈し(※ 「早良群誌」より引用)」ていたそうです。


▲ 採掘した石炭は樋井川と七隈川が分岐するこのあたりから積み出しが行われていたそうです。


▲ 昔はこの川を頻繁に船が行き交っていたのでしょうね。


▲ しかし、戦争の特需が終わると徐々に衰退。さらに追い打ちをかけるように湧水や火災・落盤などの事故が相次ぎ、昭和初期の時点で既に廃坑となっていたのだそうです。

【参考文献】
福岡歴史探訪〈南区・城南区編〉/柳 猛直 著:海鳥社

福岡歴史探訪〈南区・城南区編〉
柳 猛直
海鳥社
売り上げランキング: 1,213,305
新装版 画文集 炭鉱に生きる 地の底の人生記録
山本 作兵衛
講談社
売り上げランキング: 111,513
Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
Twitter facebook
福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
ページトップへ戻る