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【明治時代】博多の対馬小路はジャパニーズ・ヒップホップの聖地?!

1864年(文久4年)、博多の対馬小路に川上音二郎という人物が誕生しました。

福岡藩御用商人、川上専蔵の家に生まれた音二郎でしたが、母親との折り合いが悪く、14歳で家出して各地を転々としていました。(※ 地図は「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み」【海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編】より引用)

19歳頃から名古屋や大阪で政府を批判する過激な演説を行なって人気となっていましたが、その過激すぎる言動から、度々検挙されていたそうです。

音二郎は当局からマークされていたため、だんだん演説を行うことが難しくなってきていました。(※写真は「Wikipedia 川上音二郎」より)

そこで、舞台を演説から落語に移すことにしました。

桂文之助の門下に入り、「浮世亭◯◯(うきよてい まるまる)」という奇抜な芸名で活動を再開しました。

この頃に音二郎が寄席でやっていた歌が↓こちらです。

▲ まさにヒップホップ、ラップではないですか!

メロ → 「オッペケペーオッペケペッポーペッポーポー」でブレイク → ラップ →「オッペケペーオッペケペッポーペッポーポー」でブレイク という構成で現在のジャパニーズ・ヒップホップの祖ともいえるような構成です。

しかも、内容はあいかわらず政治をDisる内容。このへんもまさにヒップホッパーのようです。

「権利幸福嫌ひな人に、自由湯をば飲ましたい」

「固い上下の角取れて、マンテルズボンに人力車、意気な束髪ボンネット、貴女に紳士のいでたちで、うはべの飾りは好いけれど、政治の思想が欠乏だ、天地の真理が分らない、心に自由の種を蒔け」

というような過激な内容です。

まさか明治時代に対馬小路からヒップホッパーが誕生していたとは。

米ヒップホッパーが こぞって対馬小路まで聖地巡礼に訪れる日も近いことでしょう。

甦るオッペケペー
甦るオッペケペー

【参考文献リスト】
・あなたの知らない福岡県の歴史(山本博文 監修 / 洋泉社)
・古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編)
Wikipedia 川上音二郎
Wikipedia オッペケペー節

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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