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軍艦島より軍艦すぎる家

先日、「軍艦島より軍艦すぎる防波堤」というものを紹介しました。

▲ この防波堤は、太平洋戦争後に使われなくなった軍艦の船体に石や砂を詰めてわざと沈没させて防波堤として使用した、というものでした。

軍艦島が「軍艦っぽい」形をしているのに対して、こちらはまさに本物の軍艦。軍艦島より軍艦です。

そんなことを書いていたら、読者の方から「軍艦島より軍艦すぎる家」が大宰府天満宮の近くにあるということを教えてもらいました。

それは行かねばならぬ、ということで早速 大宰府に行ってまいりました。

▲ 太宰府天満宮はもう何度も来ているのですが、軍艦ハウスがあるという噂は聞いたことがありません。

本当にそんなものがあるのでしょうか。

▲ 太宰府天満宮の土産物屋街の突き当りを右に曲がった この小道をしばらく進むと「定遠館」というものがあり、そこが軍艦ハウスなのだそうです。

▲ この家らしいです。

▲ う〜ん、ちょっと見た感じでは軍艦ぽっさはわかりません。

▲ グルっと見て回りましたが、一般的な古い日本建築の木造住宅です。

▲ 中も立派なものではありますが、軍艦のテイストはみあたりません。

聞いていた事前情報によると、家の門に すごいものがあるということでしたので確認にいってみます。

▲ こちらが家の門柱です。何やら左右に立派な扉がついています。

▲ 日本家屋には不釣り合いな鉄製の扉があります。

▲ とても重厚な扉ですが、いたるところ穴が開いています。

▲ ボコボコになっていますね。

▲ この穴などは明らかに何かで撃ちぬかれたような跡に見えます。

色々と調べてみると、実はこの門はもともと「定遠」という軍艦で使用されていたものなのだそうです。

▲ 在りし日の定遠はこのような感じです。(※写真はWikipedia 定遠より)

この軍艦は1880年頃に作られた清国海軍の戦艦で、1895年の日清戦争の際に日本軍から攻撃されてボロボロになってしまいました。

▲ こちらがボロボロになった定遠の様子。(※写真はWikipedia 定遠より)

日本軍から備品などを奪われないために清国海軍によってわざと沈没させられました。

翌年、太宰府天満宮の神職であり衆議院議員でもあった小野隆助によって船体の一部が引き揚げられ、その備品を使って家を建てたのだそうです。

▲ 門がボコボコになっていたのは日本軍から大砲で撃ちぬかれた跡だったのですね。

▲ ベースは普通に木造住宅なのだと思いますが、部分部分に軍艦の備品がつかれているのだそうです。

例えばこちらの軒下の部分。

ちょっと変な形をしていますね。

▲ 実はこれは舟のオール(舟をこぐもの)を使っているのだそうです。

よく見ると確かにオールの形をしていますね!

130年以上前のものだとは思えないほど状態がいいです。

▲ さらにこちらの屋根の飾り部分。

こちらも軍艦の備品を使用して作られているのだそうです。

おそらくその他にも軍艦の備品を使用して作られている部分があるのだと思います。

軍艦島や軍艦防波堤ほどの派手さはないものの、こちらもまさに軍艦すぎる物件でした。

太宰府天満宮に行かれた際はちょっとのぞいてみてください。

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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