【箱崎】博多湾に迷い込んだクジラを供養する鯨塚
明治時代に博多湾にクジラが迷い込み、そのクジラで漁村が潤ったのだとか・・・。
▲ 箱崎にある網屋天満宮。
[map addr=”福岡県福岡市東区箱崎2丁目10−21”]
▲ 場所はこちら。福岡県福岡市東区箱崎2丁目10−21
この近辺はその昔、唐津街道沿いの宿場町、箱崎宿として栄えていました。
▲ かつての宿場町のなごりのような建物も多く見られます。
▲ そして網屋天満宮の場所には福岡藩の「御茶屋」があった場所だと言われています。
この御茶屋は藩主の別邸のようなものです。
参勤交代の際、城下町では華やかな格好で旅立っていくのですが城下を出ると軽装に着替えて旅をしたと言われています。
この箱崎宿の御茶屋ではそんな旅の支度をしたり、船の風待ちをしたりする場所だったのだとか。
▲ 現在は小さな祠と碑などを残すのみになっており、敷地は地域の集会場となっています。
▲ こちらは網屋天満宮。菅原道真が祀られています。
▲ 竜宮神社。
▲ 竜宮神社の前にはリアルな鯛の石像が奉納されていました。ご利益ありそう。
▲ 広場の奥にはお堂があります。
▲ 「焼けずの観音」と書かれています。神社に仏様があって神仏習合状態になっていますね。
▲ この焼けずの観音は江戸時代にこの地域一帯で発生した大火事の際にこの観音様のおかげで火がおさまったという伝承があるのだそうです。
そのため「焼けずの観音」と呼ばれているのだとか。
▲ そして広場の隅っこにあるこちらの石碑。
▲ 案内にはこう書かれていました。
この碑は鯨之標と刻まれ裏に明治廿一年十月廿日箱崎浦と記されています。
地下鉄箱崎九大前と貝塚駅の中間点当時の海岸沿の松原の中に建てられていました。当時の新聞にこの沖合いにクジラを発見 箱崎浦網屋の漁師総がかりでこの浜に追いつめ体長十三メートルの鯨を捕獲して浦中がうるおったとあります。
この鯨の供養のためこの鯨に感謝をこめて背骨の一部を葬り鯨塚を作りこの碑を建立したものです。その浜辺も埋立が進みやがて鯨塚も人々から忘れ去られ昭和二十五年には鉄道工事のためこの墓標は放置されていました
これを九州大学農学部水産学科の関係者が発見 大学構内に安置し祀られてきました。このたび箱崎漁業協同組合はこの碑を漁師の氏神網屋天神の境内に移し 末永く祀ることにしたものです。
明治時代に博多湾にクジラが迷い込んできてそのクジラを捕獲して人々が潤ったということのようですね。
▲ このように湾に迷い込んできたきて捕らえられたクジラや座礁したクジラを供養するという例は全国的によくあるものなのだそうです。
クジラがやってくると魚の大群がやってくると言われていて、クジラは霊力のある動物だと信じられていたのだとか。
クジラが小魚を追って湾に迷い込んできただけなんでしょうけど、神聖なもの、もしくは供養しないと恐ろしい物と考えられていたのでしょうね。
冷泉町には巨大な人魚が捕らえられたという伝承がありますが、個人的にはこれもそういった迷い込んできたクジラだったのではないかと思っています。