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【下関】宮内庁指定の安徳天皇御陵墓参考地へ行ってみた

山口県下関市豊田町にある宮内庁指定の安徳天皇御陵墓参考地を見に行ってみました。DSC02984
▲ 下関市豊田町にある豊田湖。

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▲ この湖畔に宮内庁指定の安徳天皇御陵墓参考地があります。

[map addr=”山口県下関市豊田町地吉”]
▲ 住所はこちら。山口県下関市豊田町地吉

ここは安徳天皇の御陵墓ではないかと考えられている場所です。

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▲ 「安徳天皇御陵墓伝説地由来碑」によると

寿永四年三月二十四日、壇ノ浦の海戦あり 午刻平氏敗頽 安徳帝二位禅尼御抱きて入水 源氏方百万捜索せるも発見せられず 因って沿岸浦人を召して捜索中沢江浦人の網に御尊骸掛りたれども神剣なし 義経心あらずや網の侭御棺に移して潜幸紀民部大輔光季守護し奉り沿道を猿山庄司に命じ義経御奉送のため野陣を今の法ケ原に進出 豊浦大津の郡境にて御棺微に動かず 因って南方奇しき地形の小丘此処に埋葬し奉る 御棺の動かずなりし所を後人御篭建場と称す(「安徳天皇西市御陵墓参考地」のページを参照)

とのこと。

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▲ 御陵墓の入り口は厳重に柵が作られていました。

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▲ 案内板にはちゃんと「宮内庁」の文字も。

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▲ 安徳天皇は源平合戦の壇ノ浦の戦いで敗北した平家一門と入水して亡くなったとされている天皇です。

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▲ のちに安徳天皇の亡骸が引き上げられ、現在の赤間神宮の場所に葬られ、赤間神宮の安徳天皇陵(阿弥陀寺陵)が公式な御陵墓であるとされています。

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▲ ところが安徳天皇は入水せずに生き延びたという説があり、平家の落人伝説と共に全国各地に安徳天皇のエピソードや御陵墓ではないかとされている場所が数多くあります。

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▲ 壇ノ浦の戦いが終了してから勝利軍である源氏は近隣の漁師や武士に命じて安徳天皇が入水の際に持っていた三種の神器の天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を探していましたが結局見つけることができませんでした。

しかし、その際に安徳天皇の亡骸が発見され、棺に入れて運んでいると突然動かなくなってしまい、そのまま埋葬することに。それがこの安徳天皇御陵墓参考地だと言われています。

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▲ この湖からは古刀が見つかったらしく、三種の神器の天叢雲剣ではないかとも考えられたようで、おそらくそんなことが関連してこの場所が安徳天皇御陵墓の「参考地」と考えられたのでしょう。

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▲ 全国各地に安徳天皇御陵墓だとされる場所がありますが安徳天皇が崩御されたとされる壇ノ浦から近いこともあり、それなりに信ぴょう性はあるのではないかと思います。

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▲ ちなみにこの豊田町の安徳天皇御陵墓参考地が卑弥呼の墓ではないかという説もあるのだそうですよ。この説はかなり眉唾モノではありますが・・・。

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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