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様々な歴史がある今泉の安養院

中央区今泉の住宅街にひっそりと安養院という寺があります。IMG 0457
▲ 中央区今泉の住宅街にある安養院。

[map addr=”福岡県福岡市中央区今泉2丁目1−78”]
▲ 場所はこちら。福岡県福岡市中央区今泉2丁目1−78

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▲ かなり荒れ果てた様子です。

近所の人に伺うと、ご住職が亡くなられて後を継ぐ人もいなかったことから今は閉鎖されているのだそうです。

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▲ この安養院は心誉という朝鮮出身の僧が開いた寺であるとのこと。

心誉は黒田長政の家臣、池田九郎兵衛に連れられて日本にやって来たそうですが、おそらく文禄・慶長の役の際に陶工などと一緒に日本に連れられてきたうちの一人なのでしょうね。

池田九郎兵衛は心誉に僧をやめさせて還俗させようと妻をあてがうなどしたそうですが、心誉は頑なに還俗を拒んだのだとか。

池田九郎兵衛がなぜそんなに熱心に心誉を還俗させようとしていたのかは不明ですが、家臣にしたかったのでしょうか??心誉がよほど優秀だったのでしょうかね?

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▲ そういった関連もあり、安養院の境内には文禄・慶長に日本に連れられてきた朝鮮の人の古い墓が多くあるのだそうです。

近所の人は安養院には貴重な碑があると聞いたことがあるとおっしゃっていましたが、おそらくこれのことなのでしょう。

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▲ それともう一つこの安養院に伝わるものとして空誉上人の話があります。

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▲ 安養院は殿様が鷹狩をした後に立ち寄る休息の場所として使われていたそうですが、二代藩主の黒田忠之が立ち寄った際に接待をした少年を気に入り小姓として差し出すように命令しました。

小姓は男色の相手をさせられることも多かったのだとか・・・。

その少年を小姓として差し出すことを空誉上人が拒否したために怒りをかって処刑されたと言われています。

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▲ 空誉上人は非常に残忍な方法で処刑されたと言われ、その処刑場となった天神中央公園の場所には「福岡藩刑場跡」の碑が建てられています。

空誉上人の亡骸はしばらく放置され埋葬することさえ許されなかったそうです。

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▲ それに心を痛めた弟子たちが夜中にこっそり亡骸を運び、現在の大手門にある浄念寺に空誉堂を建ててその死を慰めたと言われています。

空誉堂は現在でも残っていて、供養が続けられています。

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▲ ひっそりとしたお寺にも様々な歴史があるものですね・・・。

【参考サイト】
福岡の歴史シリーズ(NO.8-7) | 神の一日
安養院 | お寺めぐりの友

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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