【福岡市】キャナルシティの近くに堀跡の石垣が?!
キャナルシティの近くに堀跡の石垣があるらしいということが「博多 旧町名歴史散歩」という本に書かれていました。
本に書かれていたことを引用すると、
博多の東側を流れる御笠川(石堂川とも言う)は古くは比恵川と呼ばれ、承天寺の南付近(比恵)から西に向い那珂川に流れ込んでいた。
通説に従えば、1570(元亀元)年、大友氏(豊後)配下で、立花城主となった戸次鑑連(のちの立花道雪)は臼杵安房守に命じて、博多の防衛のため、比恵川の北流化を指示し、松原を掘削して(松原の堀切)、現在の流れの原形を造った。一方で旧比恵川を利用して濠とした。この濠は安房守にちなんで”房州濠”と呼ばれるようになった、とされる。
ということです。わかりやすくまとめると↓こんな感じです。
▲ このように御笠川はもともと承天寺の南側から現在のキャナルシティ方向に曲がっていたのを、町の防衛のために人工的に北側に流れを変えたということのようです。
そして、もともと川だった部分は濠として活用したということですね。
さらに、
下段の石垣は房州濠跡のものか?(万行寺の裏)
とも書かれていました。
どうやら万行寺の裏に石垣の跡らしきものが残っているようです!ということで見に行ってみました。
▲ 万行寺の表。
大きな地図で見る
▲ 万行寺の裏側に行ってみます。場所はこちら。すると・・・
▲ おぉ!なんかすごい雰囲気の石垣が駐車場にあります!
▲ かなり古そうな感じですね。
▲ お寺と石垣の位置関係はこうです。これを古地図と比較すると・・・
▲ やっぱり堀跡の石垣のような気がしますね!(地図は「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(宮崎 克則 著 福岡アーカイブ研究会/海鳥社)」より引用)
もっと大きな地図は↓下記で見ることができます。(右下あたり)
福岡城下町、博多・近隣古図の博多部分の拡大図
▲ この場所にはビル建設予定と書かれていましたので、近々石垣は見れなくなるかもしれません。見るなら今のうちです!
【参考文献】
・Wikipedia房州堀
・古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(宮崎 克則 著 福岡アーカイブ研究会/海鳥社)
海鳥社
売り上げランキング: 76,917