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天神〜赤坂付近の旧海岸線を特定してみる

▲ うちの事務所裏にある浜の町病院の一角に「浜の町病院名の由来」という碑が置かれています。


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▲ 場所はこのあたり。

碑には

この地古くは煙草町とよばれていたが元文年間(一七三六年頃)海岸に近いところから濱町(のちに浜の町)と改められた

この附近には黒田家の別邸が置かれ潮見櫓(現在の大手門に移築)があった

この町名により昭和二十六年病院創立にあたり浜の町病院と名づけた

なお昭和三十九年浜の町は現在の舞鶴三丁目に編入された

昭和五十六年三月 病院長 兵働貞夫

と書かれています。

▲ 確かに古地図で浜の町病院の場所を確認してみると「濱町」と書かれています。

そして海岸線も現在に比べると非常に近かったようです。

海岸線が現在でいうと どのラインにあたるのか、ちょっと調べてみたいと思います。

▲ 古地図に何かヒントになりそうなものがないかと見てみると濱町から少し東側に「少林寺」「安国寺」「妙蓮寺」というお寺がありました。

古地図と現在の地図を比較するときにはお寺を基準にしてみるとわかりやすい場合が多いです。

▲ ありました。現在もそもままの位置にあるようですね。

▲ そしてこのお寺の北西に他の道筋とは異彩を放つ斜めのラインがあります。

このライン、非常にあやしいなぁ・・・と思って道筋を辿ってみると・・・

▲ 案の定、浜の町病院にぶつかりました!


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▲ ストリートビューで見てみましょう。右手側に海を見ながら砂浜の上を歩いているイメージです。

渡辺通りの この小道あたりからはじまって・・・


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▲ 長浜公園横を通過し・・・


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▲ 「あいれふ」の横を通過・・・


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▲ しばらく歩くと浜の町病院にたどり着きます。

▲ 突き当りで行き止まりになる浜の町公園は・・・

▲ ちょうど真ん中あたりまで屋敷で、あとは浜&海になっていたと考えられます。

古地図を片手に旧海岸線を散歩するというのもなかなか楽しいですよ。

【参考文献】
・古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(海鳥社 宮崎 克則、福岡アーカイブ研究会 編)

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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