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800年前、鎌倉時代の福岡市周辺の様子はどんな感じ?

地下鉄呉服町駅を出てすぐのところに面白い古地図が展示されています。


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▲ 場所はこのあたり。

▲ 的野ビルというテナントビルの前にあります。

▲ このような形で展示されています。

▲ こちらの古地図。(→拡大して確認する

「博多古図」と言われる鎌倉時代あたりの福岡市周辺の様子を描いた地図です。

こちらの地図では北が下側に描かれていますので上下をひっくり返して見てみるとわかりやすいです。

▲ 北を上にしてみました。(→拡大して確認する


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▲ 「博多古図」で表示されている範囲は現在の地図で言うと おおよそこれぐらいの範囲。

▲ まず、もっとも特徴的なのが天神〜住吉あたりまでが全て湾になっている点です。

▲ 現在の地図で言うと、このような感じです。

▲ 北側の、現在の「須崎」にあたる部分はまさに「州」「崎」という形になっていることがよくわかります。

博多の町は既にこの時代から形ができあがっていたのですね。

湾内の住吉周辺にポコッと突き出た半島のようになっている部分が住吉神社です。

そしてその下にある島、こちらが「蓑島(みのしま)」と書かれています。

つまり、現在の「美野島」ですね。

「美野島」が本当に島だったとは驚きです。

▲ 半島になっていて山のように描かれている部分は警固や平尾など現在でも ある程度高い場所にある土地ですので、以前はこのような地形になっていたということも納得できます。

▲ そして、この部分。

こちらが現在の大濠公園の堀にあたるものです。

▲ 堀(湾)の大きさは現在と比較にならないほど大きなもので、一説によると西は城南区の田島のあたりまで、南は城南区の島廻橋あたりまで広がっていたと言われています。

そのため、城南区周辺には海を連想させる地名が多いのだそうです。

「田島」はまさにそのまま、島だったと言われています。

そして「島廻橋」も「島」を「廻」らせる「橋」があったのではないかと連想させますね。

「荒江」や「片江」など「江」がつく地名も海っぽいです。

現在ではまったく海っぽさはありませんが、地名にちゃんと残っている点がとてもおもしろいですね。

その後、数百年をかけて徐々に埋め立てられていって、現在の形になったものと思われます。

▲ 他にも現在と比較してみると、なるほど!と思える部分が結構あります。(→拡大して確認する

やはり古地図探訪は楽しいものです。

ちなみに、この古地図が展示されている大博通りには古地図だけでなく「歴史の散歩道」と題して各所に様々な資料が展示されています。

大変興味深い展示がたくさんありますので楽しいですよ。散歩ついでにいかがでしょうか。→ 詳しくはこちら

【参考資料】
筑紫の草香江(くさがえ)の話。

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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