【警固】ツタの葉に覆われたレトロな建物 福岡警固教会
けやき通りからちょっと横道にそれたところにツタの葉に覆われた福岡警固教会のレトロな建物があります。
▲ 多くの人は通る機会が少ない道なので知らない人も多いかもしれません。
その外観は初めて見た時はなかなかのインパクトがありました。
▲ 定礎は昭和三年となっていました。かなり古いです。
▲ 横の公園から見るとこんな感じ。
教会の案内看板にはこう書かれていました。
福岡警固教会は、一八七一年(明治四年)創設された熊本洋学校(熊本藩立学校校長L・Lジェーンズ)の二期生で、後に同志社英学校で新島襄の教えを受けた不破唯次郎が、一八七九年(明治十二年)十二月に来福し、当時の早良郡早良村(現在の早良区原)に居をかまへ、その場所において福音伝道が開始せられました。それが教会設立のはじまりです。それから六年後の一八八五年(明治一八年)六月七日に数々の困難を乗り越え、同志社英学校の初代総長新島襄の尽力及び米国会衆派教会の献金により福岡市呉服町二十一番地(現在の大名)に、「福岡基督教会」の名において教会が誕生しました。その後一九二九年(昭和四年)に現在地に移転、名称も福岡警固教会として伝道の場を広げてきました。二〇一〇年(平成二十二年)六月には創立一二五周年を祝いました。
2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公として話題になった新島八重の夫である新島襄が関連していたのですね。
また、Wikipediaの福岡警固教会によると、
1877年の西南戦争で西郷軍に福岡から呼応し、参加した36名の者は政府軍の勝利後に兵庫監獄に投獄させられた。この人たちに伝道したのが、神戸基督教会(現、日本基督教団神戸教会)員たちであった。
最初にキリスト教に入信したのは長瀬半次郎であった。長瀬は獄死したが、その死にざまを見て大神範造、安永寿らの数名が信仰を告白し、出獄後に郷里福岡で伝道をし教会を建設した。
1879年12月に同志社の神学生であった不破唯次郎が大神と安永に招かれて福岡に赴任し、日本組合基督教会の伝道が始まった。
とのことで、西南戦争で投獄された経験が信仰の原点にもなっているようです。
▲ 夏と冬ではガラッと雰囲気が変わる点にもぜひ注目してみてください。
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