福岡の人は昔からリサイクル上手だった?!
櫛田神社の境内に「博多べい」と呼ばれる独特のデザインの壁があります。
▲ こちらの壁です。碑文には下記のように説明されていました。
天正十五年(西暦1587年)豊臣秀吉の太閤の博多町割り(戦災復興都市計画)によって、たくましくよみがえった市街には「博多べい」と呼ぶ土べいが長く連なった。郷土再興の悲願をそのままに 焼け石焼け瓦が厚く塗り込められ、当時、 重なる戦禍の焦土から奮起した根性と心意気を示して余りがある。このたび、博多三商傑の一人、島井宗室の屋敷跡に三百八十余年の風雪に耐えた最後の「博多べい」が四散の危機に直面するに当って、広く志を集め、ここに移築再建した。但し右方は断面を表す。
16世紀頃の福岡は明や朝鮮との交易が盛んで、その利権が欲しかった諸国の大名たちによって度々 争奪戦になっていたのだそうです。
そのため、戦火に巻き込まれた博多の町はとても荒廃していたといいます。それを豊臣秀吉によって復興が命じられ、黒田官兵衛らが中心となって復興が行われました。
そんな中で作られたのがこの廃材を利用した壁です。
▲ 櫛田神社にある博多べい はこちらの場所にあった島井宗室の屋敷跡に唯一残っていたものを移築したのだそうです。
▲ 博多べいはこちらの楽水園にも再現されています。
▲ こちらはおそらく元々あったものではなく、新しく作られたのだと思いますが、当時の博多の町にはこのような壁がいたるところにあったのでしょうね。
▲ 瓦や石がきれいに埋め込まれていて独特な おもしろいデザインです。
こういう博多べい 的な廃材を利用したものが福岡には他にもいくつかあります。
▲ 例えば、春日公園の噴水の周辺にある石の囲い。色んな形の石があって独特です。→ 大きな画像で確認
実はこの石は旧県庁舎が取り壊された時に出た廃材を利用して作られているのだそうです。
▲ 旧県庁舎はこんな感じの建物だったようです。
▲ 大濠公園や天神中央公園にも旧県庁舎の廃材がいたるところで使用されています。※詳しくはこちらのページ
▲ そして、先日も紹介した福岡の街中にちょこちょこ設置されているこちらの碑。旧町名とちょっとした歴史っぽいネタが書かれていて、注意して探すと色んな所で見つけることができます。
この石材は西鉄市内電車の敷石として使用されていたものを再利用したものだそうです。
▲ 博多べいが作られたような何百年も昔から福岡の人たちは資源を色んなものに上手に活用していたようですね。
その他にもおもしろいリサイクルの事案がないか探してみたいと思います。