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今から約80年前、1938年(昭和13年)の福岡観光の推奨ルート

1938年(昭和13年)に発行された福岡観光のパンフレットに書かれていた推奨ルートを紹介してみたいと思います。

今だったら、博多駅→キャナル→天神→福岡タワー→中洲の屋台のような感じかと思います。

当時はどのようなルートをすすめているのでしょうか??

▲ 推奨ルートはこちらの「門司鉄道局」が発行したパンフレットに掲載されていました。

▲ こんな感じの折りたたみ式です。

↓ このように書かれています。

駅前に東と西、そして北へ行く三つの電車がある。東と西へ行くのは、市の外廓を一周し、又、城南線といって姪浜に至る博軌電車である。他の一つは駅前から真っ直ぐに、そして東は工科前、西は福岡城址に沿うて西公園、今川橋に至る丁字線をなして居る。これが福博電車である。まず、福博電車に乗って東公園に行き筥崎宮に参拝し、引き返して西公園を見物し帰路、県庁前に電車を降りて商品陳列所を視察し、ここから市中の一番繁華な通りを歩き、空腹を満たすに博多特有の「みずたき」に舌鼓を打ちて、さらに太宰府神社に参拝しよう。

▲ このパンフレットが発行された昭和13年とほぼ同時期の昭和15年の地図がありますのでそちらで見てみます。パンフレットには

駅前に東と西、そして北へ行く三つの電車がある。

と書かれていますが、「駅前」とは博多駅の事のようです。

地図を見ると、確かに「博多停車場(博多駅)」から東と西、そして北へ行く三つの電車があります。

▲ そして、

東と西へ行くのは、市の外廓を一周し、又、城南線といって姪浜に至る博軌電車である。

と書かれています。確かに東と西へ行くものは ぐるっと一周する形になっています。

▲ さらに

駅前から真っ直ぐに、そして東は工科前、西は福岡城址に沿うて西公園、今川橋に至る丁字線をなして居る。これが福博電車である。

と書かれています。

▲ わかりやすくまとめると、こういうことですね。

▲ パンフレットでは

まず、福博電車に乗って東公園に行き筥崎宮に参拝

と言っています。

東公園では

▲ 亀山上皇像や

▲ 日蓮聖人像が見れますね。

時代にズレはあるかもしれませんが古い写真と今を比較。

▲ 筥崎宮はこんなかんじです。

▲ 次は

西公園を見物

です。

西公園では

▲ 光雲神社参道を歩いて行き、

▲ 光雲神社に参拝。

▲ そして福岡・博多の街を一望できます。

▲ そして西公園から戻りつつ、

県庁前に電車を降りて商品陳列所を視察

です。

▲ 写真右側、毎日福岡会館の場所にあったのが「商品陳列所(物産陳列館)」です。

ここにはどういうものが陳列されていたのでしょうかね??

▲ 今度は

ここから市中の一番繁華な通りを歩き、空腹を満たすに博多特有の「みずたき」に舌鼓を打ち

と書かれています。

▲ 「一番繁華な通り」については別途解説がありました。

西公園からの帰路、電車を県庁前に降りると、すぐそのそばに福岡県商品陳列所がある。商品陳列所から、電車通りに沿い、西大橋を渡ると、西中洲、そこには劇場・活動写真館などが櫛比し、夜は市内第一の歓楽郷である。さらに商品陳列所から川に沿うて下り、やがて右に折れると中島町・掛町・綱場町などの通りに出る。この付近が一番繁華な通りで、大阪における心斎橋筋である。掛町の裏側には壽通り=一名新道ーと称する賑やかな小さい通りが縦横に続いている。星影淡き夏の夕、この界隈に涼味を趁えば大路小路は杏唇犀齒の人のみで身動きもならぬ雑踏を呈する。

▲ つまり、この辺めっちゃいいよ〜!と解説しています。

▲ 中洲大洋があるとこなどですね。このへんで水炊きを食べることをオススメしています。

そのあとは

さらに太宰府神社に参拝しよう

で〆られていました。

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約80年前の観光ルート、いかがでしたか?

今オススメされるであろうものとは だいぶ異なりますが、結構楽しいのではないでしょうか?ちょっと地味かな・・・?

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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