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福岡城に現存している建物まとめ

福岡城がまだ現役の江戸時代の頃には城内にたくさんの建物や櫓、城門がありました。

▲ こちらは福岡城の想像復元図です。(※福岡城内案内看板より)

天守閣があったのかどうかという点はいまだに議論が続いていますが、多くの建物があったことは間違いありません。

▲ こういった絵図や古地図でも確認できます。

しかし、明治維新後、廃城令が発令されると多くの建物が壊されてしまいました。

さらに軍の施設が設置され、戦時中に空襲被害にあったことで建物のほとんどが失われてしまいました。

そんななかでも奇跡的に空襲の被害を受けなかったものや、移設されていて無事だったものなどがいくつかありますので、今回はそれを紹介したいと思います。

下之橋御門(しものはしごもん)

▲ 福岡城内にいる女中などが使用していたといわれている下之橋御門。

▲ 一度ボヤ騒ぎがあって修復し直されたものの、ほぼそのままの形で残っています。

南ノ丸多門櫓(みなみのまるたもんやぐら)

▲ お城の防衛のために設置された櫓で、普段は倉庫として使用されていたそうです。

▲ 横に長い櫓になっていて、中には小窓のような穴が開けられています。その穴から攻めてきた敵を鉄砲や石、ためておいた糞尿(!)などで攻撃する仕組みになっています。

▲ 中はこのように小部屋にわかれています。(※写真は福岡城内案内看板より)

祈念櫓(きねんやぐら)

▲ 福岡城の鬼門封じのために建てられた櫓です。中には茶室などもあります。

▲ この場所には僧徒が交替で入っていたそうです。

この櫓は大正七年(1918年)に北九州市八幡東区の大正寺に移設されましたが、昭和58年(1983年)に再びこの場所に戻されました。

▲ 上記の写真は昔の祈念櫓の姿ですが、移設の際に大きく形が変えられてしまったのだそうです。

(伝)潮見櫓(しおみやぐら)

▲ 下之橋御門の横に設置されている(伝)潮見櫓。

なぜ「(伝)」がついているのかというと、最近の研究でこの建物は潮見櫓ではなく福岡城内のどこかにあった別の建物であるということがわかったからだそうです。

この櫓は太鼓櫓ではないかと推測されていて、本物の潮見櫓は解体されて崇福寺に保管されているといわれています。

本丸表御門(ほんまるおもてごもん)

▲ 本丸表御門は福岡城内にはなく、多区千代の崇福寺に移設されて残っています。

▲ 本丸に入るための門ですので大変立派です。もし移設されていなかったら空襲で焼けていたかもしれませんね。

▲ ちなみにまだ福岡城にあったころの古写真はこちら。(※写真は福岡内案内看板より)

↓以下は番外編です。現在福岡城内にあるけれども、もともとは福岡城にあったものではない建物です。

名島門(なじまもん)

▲ 現在の福岡城ができる前までは名島にお城がありました。

名島城から福岡城に移すときに、一度天神辺りに移設され、さらに戦後にこの場所に移設されました。

旧母里太兵衛邸長屋門(きゅうもりたへいていながやもん)

▲ 天神にあった母里太兵衛の屋敷の門を昭和40年に移設したものです。

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あまり建物が残っていないと言いながらも、こうやってならべてみると けっこう見どころはたくさんありますね。

みなさんも福岡城内、城外に残された建物をぜひ見に行ってみて下さいね。

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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