福岡城に天守閣は無かった?!
投稿日: | カテゴリー:街散歩
福岡城の謎のひとつとされているのが天守閣の存在です。
▲ 福岡城には天守閣が無かったという説が有力とされています。
正確に言うと、あったけれどもすぐに解体したのではないかと考えられています。
▲ 実際、福岡城には天守「台」は今でも残っていますので、建てていたということは間違いないと考えられます。
▲ 天守台の中には立派な礎石(そせき)も残っています。
しかし、福岡藩関係の資料は福岡大空襲の際に多くが焼けてしまったため決定的な資料が残っておらず、天守閣がどういったものだったかが わからないままなのだそうです。
▲ 絵図を確認しても、建物の詳細については描かれていないので謎のままです。
寛文8年(1668年)の「西国筋海陸絵図」には福岡城の天守閣が描かれていますのでこの時点ではまだあったのかもしれません。が、この絵図が間違っている可能性もあるらしいです。
西国筋海陸絵図は下記で閲覧できますので福岡城を探してみてくださいね。「福岳」と表記されている所です。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286214/2
▲ その後に描かれた絵図には天守閣の場所は天守「台」と表現されているため、一度作ったものを壊した説が有力と考えられています。
▲ なぜ壊したかという理由についてはいくつかの文書が見つかっているそうです。
文書を読み解くと、福岡藩では大阪城の改築の手伝いをしていたのですが、福岡藩の担当していた所の作業が遅れていたので、福岡城の天守閣を解体してその資材を使ったのではないかと推測されるそうです。
いずれにしても、天守閣がどんなものだったかは謎のままですので、今後の研究に期待です。