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【谷】陸軍墓地にあるドイツ人捕虜の名が刻まれた墓

谷にある陸軍墓地にはドイツ人捕虜の名が刻まれた墓があります。


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▲ 陸軍墓地は谷公園の敷地内にあります。


▲ 過去の戦争で亡くなった方が葬られています。


▲ 陸軍墓地の奥の方に行くと、ひっそりと石柱で囲まれた箇所があります。


▲ ここには外国人の名が刻まれています。


▲ 「フランシルー チエツク」でしょうか?


▲ 「ハインリヒ ウエルター」

これは第一次世界大戦中に当時ドイツの極東における根拠地であった青島(チンタオ)で日本軍の捕虜となったドイツ兵なのだそうです。

1914年(大正3年)、青島を日本軍が陥落し、それによって大量のドイツ人捕虜が日本に移送されました。

青島陥落の際に主力兵となっていたのが久留米の第十八師団だったことから、久留米に収容されましたが、その後、各地に分散されています。

福岡市での捕虜収容所は柳町にあった遊郭跡地だと言われていて、捕虜たちは今津の元寇防塁修復作業に従事したのだそうです。


ドイツ人捕虜の扱いは、国際条約(ハーグ条約)を順守したもので労働に対しては日本の将校・兵卒と同様の給与が支給され、本国との手紙のやり取りが許されていたり、飲酒も許されていたりしたそうです。

ドイツ人捕虜と日本兵がニコニコ笑いながら写っている写真もたくさん残されています。

その一方であまり住環境は良くなく、病気になる人も多かったという文献もあります。そのあたりは実際の所どうだったのかは不明です。

その後、1919年にヴェルサイユ条約により捕虜の本国送還が行われましたが、そのまま日本に残り事業を起こした人もたくさんいたようです。

ユーハイム(製菓)、ローマイヤ(ハムやソーセージなどの製造)、フロインドリーブ(パン)などは日本に残ったドイツ人によって創業され、現在でも残っています。

【参考文献】
バルトの楽園が福岡ではザルデルン夫妻の悲話・前編
ドイツ人捕虜の遺産
ドイツ人俘虜(ふりょ)収容所
板東俘虜収容所

青島(チンタオ)から来た兵士たち―第一次大戦とドイツ兵俘虜の実像
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Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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