ミラクル!!海に落としたものを魚に食べられて魚屋で魚を買ったら
博多の奈良屋町をふらっとしていましたら駐車場の一角にぽつんとお地蔵さんが建てられているのを発見しました。
▲ こちらの場所です。
▲ 「魚腹地蔵」という名前のようです。
▲ 「魚」の「腹」なのでお腹のところに なにかあるのかなと思ってよく見てみましたが、とくに変わった感じはしません。
▲ 後ろ姿も普通な感じです。
ちょっと名前が気になりましたので調べてみました所、「筑前名所図会」という古文書に このお地蔵さんに関する おもしろい逸話が書かれているようですので紹介してみたいと思います。
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昔(いつごろの話なのかは詳細が書かれていない)、博多に童子丸という子供が住んでいました。
童子丸はまだ幼かったのですが、母親は(病気のため?)死が近い状態になっていました。
母親は童子丸を呼び、鏡を渡しました。
「母が恋しくなったらこの鏡を見なさい。そして、将来は仏門に入ることが親孝行となる」と言い残してこの世を去りました。
童子丸は母からもらった鏡を溶かして(おそらく銅製の鏡だったと思われる)小さなお地蔵さんを作り、肌身離さず持ち歩きました。
その後、童子丸も大きくなった ある日、舟にのっているときに なんとなく海中に手を入れてみると突然大きなサメに手を食いつかれ大切にしていたお地蔵さんを入れた小袋を食べられてしまいました。
そのことで落ち込みまくった童子丸はわざわざ広島の宮島まで「お地蔵さんを何とか返して下さい」とお参りに行きました。
その帰り道で同じ舟に乗っている人たちにお酒をふるまい、おつまみに食べようと買っていたサメをさばいてみると・・・なんとそのサメの腹の中からお地蔵さんを入れた小袋がでてきました!
なんというミラクル!
▲ その時の様子がこちら。(※画像は「筑前名所図会」より)
童子丸は喜びのあまり涙したといいます。
童子丸が感謝している様子が描かれていますね。
周りの人たちの「よかったよかった」という表情もいいです。
その後、童子丸は母の遺言どおり仏門に入り、この魚の腹から出てきた仏像、つまり魚腹地蔵を祀る「光西寺」を建てました。
▲ それが現在 魚腹地蔵があるこの場所なのですが、何かわけがあってか明治時代に廃寺となってしまったそうです。
▲ この祠の中に童子丸が大切にしていた小さなお地蔵さんが祀られているそうです。
街角にある小さなお地蔵さんにもこのようなバックグラウンドがあって とてもおもしろいですね。
近くにある いつもなんとなく通り過ぎているお地蔵さんのヒストリーを調べてみると、何か興味深いことがわかるかもしれませんよ。