【福津】パワースポットとして話題になっている宮地嶽神社の「光の道」を見に行ったらギリシャやエジプトまでつながった・・・
パワースポットとして話題になっている宮地嶽神社の「光の道」を見に行ったらギリシャやエジプトまでつながった・・・。
▲ 福津市にある宮地嶽神社。
▲ なんといってもインパクト大なのがこちらの大注連縄(おおしめなわ)。
長さ11メートル、直径2.6メートル、重さは3トンという巨大さ。もちろん日本一。
▲ そしてこちらの大太鼓。
直径2.2メートル、重さ1トン。こちらも日本一。
太鼓の面は牛の一枚皮で作られています。
▲ さらにもう一つの日本一がこちらの大鈴。
直径1.8メートル、重さは450kg。いったいどんな音が鳴るのだろう??
▲ その他、金色で装飾された本殿の屋根など見どころいっぱいの神社です。
▲ 宮地嶽神社に祀られているご祭神は
・息長足比売命(おきながたらしひめのみこと→別名:神功皇后[じんぐうこうごう])
・勝村大神(かつむらのおおかみ)
・勝頼大神(かつよりのおおかみ)
の三神。
神功皇后は仲哀天皇の后で、勝村大神、勝頼大神は神功皇后に仕える侍従。
神功皇后は戦乱の際に宮地嶽神社に祈願して船出し、無事勝利して帰還されたのだそうです。
そんなことから「何事にも打ち勝つ開運の神」として古くから信仰され、様々な願いが叶うと伝えられています。
▲ で、最近大フィーバーなのがこちら。
嵐が出演したあのCMでおなじみの「光の道」です。
年に2回、宮地嶽神社からまっすぐ伸びる参道に夕日が差し込み、幻想的な景色があらわれます。
福岡でも有数のパワースポットとして知られる宮地嶽神社のパワーがMAXに達する(?)、そんな貴重な機会です。
このチャンスを逃すまいと先日10月17日、宮地嶽神社に光の道を見に行ってみました。
▲ 今回、ありがたいことに宮地嶽神社の神職の方に光の道のことや宮地嶽神社のお話を聞かせてもらえることになりましたので、ここぞとばかりに色々と尋ねてみましたよ。
まず、そもそも 光の道が現れるこの道って何なの??ってことについて聞いてみました。
▲ 光の道がまっすぐに見えるこちらの場所に立って、ちょっと後ろを振り返ってみて下さい。
▲ すると、こんなものがあるはずです。
▲ 木の根本部分を見てみると「元御本殿跡」と書かれた石碑が。
▲ そうなんです。光の道というのは元々この場所にあった宮地嶽神社の本殿からまっすぐに伸びていた道なのだそうです。
では道をず〜っと海の方に進んでいくと何があるのでしょうか??
▲ ・・・ってことで実際に海のところまで来てみました。
▲ 道は砂浜に突き当たる所で終わっていますが、そこから海を挟んでまっすぐの場所を見ると・・・島がありますね。
▲ 地図で確認してみるとその島は「相島」だということがわかります。
光の道っていうのは宮地嶽神社と相島をまっすぐに結ぶものだったのですね!
でもなんで宮地嶽神社と相島??この二つにどんな関係があるのでしょうか??
そんな疑問も尋ねてみました。
▲ 道が伸びる先の海岸に行ってみると、こんな風に石で覆われた場所があります。
実はこれ「相島積石塚群」と言われる古墳なのだそうです。
海岸沿いには250基以上の古墳(積石塚)が密集していて、朝鮮半島や大陸との関わりや交流があったと考えられる出土品も複数見つかっているのだとか。
そういったことからこの古墳群は古代にこの近辺を統治していた阿曇(あづみ)族のものだと考えられているのだそうです。
阿曇族とは紀元前後頃に大陸から北部九州に渡ってきた人たちがルーツになっていて、交易や漁を通じて力を持った一族です。
▲ つまりこの道は宮地嶽神社から相島にある阿曇族を祀る古墳に向けて作られたものだったのですね。
光の道というのは10月20日前後に現れるのですが、この時期は阿曇の祖である宮地嶽の神が祀られた由緒正しき日なのだとか。
▲ 10月22日に遷座祭というのが開催されて、宮地嶽神社に伝わるつくし舞がというものが披露されます。
つくし舞は阿曇の礒良を祖とする舞で、代々宮地嶽神社の宮司だけが舞う秘曲なんていうものもあるのだそうですよ。
▲ そしてそして、これまた興味深いものが宮地嶽神社の奥の宮にあると教えてもらいましたので実際に見に行ってみることに。
▲ 奥の宮には8つの神社があり、それぞれに無病息災や商売繁盛などなど様々なご利益があるのだそう。
▲ 五番社になっている淡島神社と濡髪大明神は「恋の宮」とも言われていて、恋愛成就のご利益があるとして若い女性に人気のパワースポットになっているのだとか。
ハート型の絵馬がラブリー!!
▲ そして、その8つの神社の中に不動神社というものがあります。
▲ ここには不動明王が祀られ、家内安全・病魔退散などのご利益があるとされています。
▲ こちらが拝殿の様子。
▲ 内部はガッチリ石で固められていますね。
さらに奥を覗き込んでみると・・・
▲ おお〜!スゴイ!ず〜っと奥の方まで石が積まれた道が続いている!!
これってもしかして・・・・古墳?!
▲ 不動神社の奥の方にまわってみると・・・こんもりとした山が!完全に古墳でした〜!
宮地嶽神社の奥の方にこんなのがあったなんて全然知らなかったなぁ・・・。
この古墳は宮地嶽古墳と言われるもので、6世紀に築造されたもの。
▲ 石室は全長23メートルにもおよび日本最大。
5〜6メートル四方の玄武岩を組み合わせて築かれており、技術力の高さが伺えます。
同時代に権勢をふるった蘇我馬子が埋葬されている石舞台古墳よりも大きく、日本一の実力者の古墳であると考えられているのだとか。
それでスゴイのがこの古墳から出土したものですよ!
▲ 古墳の内部からは巨大な太刀や瑠璃壺、黄金の天冠などが300点以上見つかっており、そのうちの20点が国宝に指定されています。
この場所から国宝が20点も出ていたとは・・・。
▲ その中でも特に興味深いのが国宝に指定されている黄金の鐙(あぶみ)。
鐙とは馬に乗る時に足を入れる馬具ですが、古代ギリシャに起源を持つパルメット文様があしらわれているんです。
▲ パルメット文様とはこういうもの。
6世紀ごろの古墳から遠く離れた場所で使われていた文様が見つかるとは何とも不思議ですね・・・。
こうした大陸との交流の痕跡があることや、日本最大の石室を持つ墓であることなどから、この宮地嶽古墳は阿曇族の首長が埋葬されていると考えられているのだそうです。
▲ そしてこれまた興味深いのが「阿曇(あづみ)」という言葉の意味。
▲ ツタンカーメンとかクレオパトラを見てみると目の周りにイレ墨が入っていますが、このイレ墨が入った目のことを「アヅミ目」というのだとか。
実際、阿曇族は目にイレ墨があったと伝わっていて、宮地嶽の歴史は遠い国のエジプト文化までが眠っていると言われているのだそうです。
まさかギリシャやエジプトまで話がつながるとは思っていなかったなぁ・・・!
こうした文化はシルクロードを経由して長い長い年月をかけて伝わってきてたのでしょうね。
これぞ歴史のロマンって感じだなぁ・・・。
そろそろ夕日がでる時間帯になってきましたので光の道のほうに戻ってみます。
▲ まだ光の道が現れるまでには少し時間があるにも関わらずこの行列!
▲ 17時ぐらいから参道の階段にも多くの人が集まっていました。
神職の方の解説などを聞きつつその時を待ちます。
▲ 17時15分ごろ。かなり良い感じになってきました。
▲ 皆さん携帯でその瞬間を収めようと写真を撮っているわけですが、太陽に向かってみんなで手をかざす姿は、何だか日本人のプリミティブな姿を見たような、そんな気持ちになりましたよ。なんか埴輪でこんなポーズがなかったっけ??笑
▲ SNSのほうも光の道で盛り上がっていた!
色んな角度から眺めた光の道はどれもキレイだな〜!
▲ ず〜っと昔に日本で大きな力を持った一族を祀るこの場所は、ある意味で我々のルーツになっている場所でもあるわけです。
神社の方も、これだけ人がくるというのは、自分のルーツになっているかもしれないということを本能的に理解して集まってくるのかもしれないとおっしゃっていました。
▲ そして17時30分ごろ、本日のハイライトとも言える素晴らしい情景が!
この日は直前で雲に入ってしまったので完全に道と重なることはありませんでしたが、それでもじゅうぶん感動的な風景が広がりました。
確かにこの景色を見ていると自分の故郷に帰ってきたような、そんな気もしてきますね。
これはぜひ一度は見ておきたいパワースポットだな〜。
光の道が次回見れるのは2月下旬とのことです。
宮地嶽神社ホームページ
http://www.miyajidake.or.jp/
宮地嶽神社facebook
https://www.facebook.com/miyajidake/