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かつて福岡市の今泉にあった今泉財産区

かつて福岡市の今泉にあった今泉財産区について。



福岡市の国体通り沿いにある複合ビル『天神CLASS』。

このビルの裏手にひとつの石碑が立てられている。

「今泉財産区記念碑」と刻まれ、裏にはこの碑の由緒が記されている。

今泉財産区は、大正元年十月一日筑紫郡警固村の福岡市合併により引継がれ、爾来五十有余年の歴史の変遷のなかで区内住民の福祉事業に貢献して現在に至ったが、福岡市児童会館の建設を契機に、ここに廃止されたものである。
昭和四十三年九月吉日 福岡市今泉財産区

「財産区」とはあまり聞き慣れない言葉である。

Wikipediaの「財産区」のページには

財産区は市町村の一部で財産を有し若しくは公の施設を設けているもの又は市町村の廃置分合若しくは境界変更の際の関係地方公共団体の財産処分に関する協議に基づいて市町村の一部が財産を有し若しくは公の施設を設けるものとなるものをいう(地方自治法第294第1項)、具体的には合併後の市町村の行政区画である「大字」とか「町」とかいわれる集落が農業用溜池や地区の山林等、その地域に限られた利用を目的にした非収益的性格の強い資産を所有してきているものを指す。

と解説されている。

また、『コモンズと地方自治 : 財産区の過去・現在・未来(日本林業調査会)』という書籍によると、

財産区は、市町村合併前の町村有財産(公有財産)について、合併後もその区域が中心となって財産を管理するための制度である。

とある。

これだけではやや理解しにくいのだが、財産区が設けられた歴史を見てみるとわかりやすい。

時代は明治以前に遡る。

かつての日本では基本的に自給自足の生活が営まれていた。

そんな生活に欠かせないのが山林や、ため池である。

山林は薪木などに使用する木材を調達するため、また、ため池は農業用水を確保するために必要なものであった。

山林やため池は村の共有財産として運用され、生活資源となっていた。

しかし、1889(明治22年)年に市制町村制が実施され、村々が合併されることになると、この共有財産に関して問題が発生する。

例えばAという村とBという村が合併してCという市が新しく作られると仮定する。

A村には山林とため池があり、B村には山林もため池もなかったとする。

すると、A村とB村が合併することによって、元々A村が使っていた山林とため池を、B村も共同で使用することになる。

そうなるとA村は合併に対して何のメリットも無く、ただ自分の村の財産の一部を奪われるだけの形となってしまうのである。

そのため、明治時代の市制町村制実施の際には、各地で不満が続出し、抵抗が生じることとなった。

これらの不満を緩和するために作られたのが「財産区」だ。

山林やため池など、村の共有財産として使用されているものについては「財産区」に指定し、合併後であっても、かつて所有していた村が中心となって管理する権利を有するようにしたのである。

上記の例でいうと、A村とB村が合併してC市になったとしても、かつてA村であった区域の人が山林やため池を管理する権利を持ち続けるのである。

この財産区は現在においても全国で3,982団体存在しており、そのほとんどが山林となっている。

財産区一覧
https://www.houjin-bangou.nta.go.jp/setsumei/images/property_ward.pdf

温泉なども財産区に指定されているものがあり、兵庫県の城崎温泉などはその代表的な例である。

その他にも土地や畑、墓地、スキー場なども財産区として指定されている事例がある。

福岡市の今泉財産区について調べてみると、1969(昭和44)年2月21日の西日本新聞に、今泉財産区記念碑が建てられた際の記事が掲載されていた。

記事には元財産区議長の白石さんの話として、

この共有地は藩政時代、年貢を納めきれずによそに出て行った人たちの残した水田だった。当時の大庄屋が××(字が潰れて読めず)で、この水田の年貢を一手に引き受け、地区共有の財産として残したという。

とあった。また、

土地は、筑紫郡警固村からの地区共有地。大正元年福岡に市に編入され、同三月二日、そっくり福岡市今泉財産区として引き継がれた。土地はもっと広かったが、地区でものいりのたびに処分、下水道改良工事や貧民救済、街路灯の建設費に当ててきた。地区の福祉を進めるため、かけがえのないドル箱だった。戦後は、区有地の中の集会所を利用して保育園を経営していたが、昨年春、市が児童会館を建てるには『都心で足の便の良い所がよい』と、あちこち捜したすえに今泉財産区に残されたこの土地に白羽の矢を立てた。『子供のためなら……』同財産区議会と市側の話はトントン拍子でまとまり、財産区は昨年九月三十日付けで廃止。この用地代をもとに同地区は、共有の集会所を移転改築するなど最後の記念事業をしてきた。

とも記されていた。

要約すると、福岡市が児童会館建設のために今泉にあった財産区の土地を買収し、その売却費用をもって、この財産区にあった集会所などを移転したということである。

福岡市への売却により財産区は消滅したので、この地にあった今泉財産区を記念して碑が建てられたというわけである。

このとき建てられた児童会館は長らく使用されてきたが、2016(平成28)年に建て替えられ、現在の複合ビル『天神CLASS』となった。

児童会館の機能はこのビルの6階に『中央児童会館あいくる』として入っている。

江戸時代に大庄屋が引き受けた土地は財産区として地域の人々を助け、今もこうして福岡市民の財産として受け継がれているのである。

【参考文献・参考サイト】

コモンズと地方自治 : 財産区の過去・現在・未来/泉留維・齋藤暖生・浅井美香・山下詠子(共著)/日本林業調査会

財産区の意義等|安芸高田市
https://www.akitakata.jp/ja/shisei/section/zaimu/zaisanku-kadai-houkokusei/

公務員のスキルアップのための地方自治法(2)【財産区】|公務員総研
https://koumu.in/articles/436

財産区|Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/財産区

Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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