【佐賀】不老不死の薬を求めて佐賀にやってきた中国の学者 徐福
紀元前200年頃、不老不死の薬を求めて中国から佐賀にやってきた徐福という人物がいます。
徐福は日本にやってきて不老不死の薬を探しまわったと言われていて、日本各地に徐福伝説が残されています。
その中でも佐賀県の金立町付近には数多くの除福に関する史跡や除福を祀る神社などがあります。
▲ 徐福関連の場所の中でも、ハイライトとも言える場所が佐賀にある金立山です。
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▲ 場所はこの辺りです。
徐福は秦の始皇帝から命じられて中国から「東の海」を目指し、「平原広沢」で王となり、戻ることはなかったと伝えられているそうです。
そのことは司馬遷の『史記』の巻百十八「淮南衝山列伝」に記されていますが、具体的に「東の海」や「平原広沢」がどこを示しているのかは不明です。
徐福伝説は色々な説があって地方によって話が異なっているのですが、一説によると不老不死の薬を求めて全国を旅して回り、最終的に佐賀県の金立山で仙人から不老不死の薬を教えてもらったとされています。
▲ 金立山のふもとには徐福長寿館という施設が建てられていて、ここで除福に関して学ぶことができます。
▲ 施設周りには徐福とその横に女性が描かれている絵がたくさんあります。
この女性は徐福が滞在中に身の回りの世話をしていた「おたつ」という女性だと伝えられています。
紀元前200年といえばまだ日本が縄文から弥生にかけての時代ですが「おたつ」といういかにも江戸的な名前だったのか??という突っ込みどころはありますが、そういう伝説などもあるようです。
▲ 徐福長寿館の周りは不老不死の薬にちなんで薬用植物園になっていました。
▲ 植物園は かなり広いです。
▲ このカンアオイという植物が徐福が仙人から教えてもらった不老不死の薬とされています。
カンアオイは別名「フロフキ」と言われていて、これは「不老不死」がなまったものだと言われています。
▲ 植物園には金立山を背にして徐福像が建てられていました。
徐福が不老不死の薬を発見したのに中国に戻らなかったのは、実は徐福が邪馬台国の王となり、日本に定住したからだという説もあるそうです。
その場所が邪馬台国なのではないかと言われている吉野ヶ里遺跡では中国の人の特徴を持つ骨が出土したりもしているそうです。
だとすると、邪馬台国が除福を介して大陸と交流を持つことができた きっかけになったと考えれなくもないですね。確かにあの時代の文化の急激な発展は何らかの外的要因があったからだとも考えられます。
まあ ちょっと強引な説で時代的な矛盾点はたくさんありそうですが、色々と空想が膨らみます。
【参考文献】
・佐賀県の徐福伝説
・Wikipedia徐福
三五館
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【こぼればなし】
西中洲名物(?)のJB。毎回通るたびにビクッとなります。今日も相変わらず Make it funky !!と微笑んでいました。