【福岡市】金印の鑑定をした西学問所の亀井南冥
投稿日: | カテゴリー:街散歩
唐人町商店街近くにある八橋神社の隣に「西学問所跡」と書かれた碑が建っています。
▲ 近くの案内板にはこう書かれていました。
天明4年(1784年)に福岡藩が藩士教育のため設けた藩校西学問所、別称甘棠館の跡です。徂徠古学派の儒者亀井南冥が館長となり、学生の自主的な学習を尊重する校風の下に江上苓州・原古処・広瀬淡窓等の人材が育成されました。しかし、幕府の学問統制や藩内儒者間の主導権争いの結果、寛政4年(1792年)に南冥は罷免され、また同10年に学舎が火災焼失したことを機に廃止されました。なお、その跡は、この案内板正面の一角になります。
▲ 亀井南冥は医師としても優れていたそうで、福岡藩の藩主黒田治之より儒医に任命されています。亀井南冥は黒田治之の遺言によって学問所の学長になったのだそうです。
亀井南冥は志賀島から金印が発見された時、これを鑑定した人物としても知られています。
その際、金印を家宝にしたいと考えて買い取らせてくれないかと頼んだり、学者たちの間で権力争いのようなものが起きたりと様々なエピソードがあったようです。
▼ こちらのページの考察がおもしろかったのでぜひ読んでみてください。
国宝「漢委奴国王」の金印:本物? それとも江戸時代の偽作?
【参考文献】
・Wikipedia亀井南冥