【福岡市】東公園にある亀山上皇銅像はなぜ北条時宗にならなかったのか
投稿日: | カテゴリー:街散歩
東公園に亀山上皇の銅像があります。
▲ とても立派な銅像です。
▲ 案内看板には
13世紀後半の元(モンゴル)軍の来襲の際に、「我が身をもって国難に代わらん」と伊勢神宮などに敵国の降伏を祈願された亀山上皇の故事を記念し、福岡県警務部長(現在の警察署長)だった湯地丈雄氏等の17年有余の尽力により、明治37年(1904年)元冠に緑あるこの地に建立されました。高さ約6メ一トルを誇るこの像の原型となった木彫像は、当時、高村光雲門下で活躍していた、博多櫛田前町生まれの彫刻家山崎朝雲の代表作のひとつで、現在は筥崎宮の奉安殿に安置されています。
とありました。
元寇の時に筥崎宮に掲げられた「敵国降伏」の文字も亀山上皇によるものと言われています。
▲ そしてこちらが筥崎宮にある亀山上皇銅像の原型となった木像です。
近くで見るとけっこう大きいです。
▲ 案内看板によると、明治時代の木像としては最大級のものだそうです。
また、銅像の原型になったものは銅像の完成後に破棄されることが多いらしいですが、この木像はそのまま残っているため大変珍しいそうです。さすがに亀山上皇の像を破棄することは はばかられたのでしょうかね。
▲ 亀山上皇像は「福岡が元寇のゆかりの地でありながら元寇を顕彰する記念碑がない」ということで作られたそうです。
でも、元寇といえば有名なのは北条時宗と日蓮聖人だと思います。実際、最初は北条時宗の像に日蓮聖人のパネルを埋め込んだものを建てるという計画もあったのだそうですが最終的には亀山上皇の銅像と日蓮聖人の銅像が建てられています。
そうなったのは、北条時宗によって日蓮宗が弾圧された歴史があり、そのことを配慮してという説もあるそうです。
それなので、東公園には亀山上皇と日蓮聖人なのですね。
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