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【福岡市】福岡城 上ノ橋御門の修復作業を約2年間ウォッチしてみました

福岡城の上ノ橋御門の修復作業が行われていましたが、その様子を約2年間にわたってウォッチしてみました。

このブログで最も長い時間をかけて温めていたネタです。


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▲ まず、上ノ橋御門はこちらの場所にあります。


▲ 福岡城の北側入口には上ノ橋御門と下ノ橋御門の二つがあり、江戸(将軍様がいる方向)に近い方、つまり東にある門が「上」になっています。(※古地図は「古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み(宮崎克則・福岡アーカイブ研究会 /海鳥社)」より)

上ノ橋は福岡藩の殿様専用の橋だったと言われていて、福岡城の中でも最も重要な入口です。


▲ 現在、下ノ橋御門はこの写真のように復元されていますが上ノ橋御門は石垣だけが残っている状態になっています。


▲ まだ上ノ橋御門が残っていた頃の写真を見ると現在の下ノ橋御門とほぼ同じ形の門があったことがわかります。(※ 写真は下ノ橋御門のパネルより)

橋は木の橋がかかっていました。殿様専用の橋だから石造りの立派な橋にしたらいいのに・・・と思ってしまいますが、これは万が一 敵から攻められた時に橋を壊して中に入れないようにするための対策なのだそうです。


▲ これは2012年7月6日の上ノ橋御門跡の様子です。

一見、特になんでもないように見えますが石垣に歪みが出たりして崩れそうな箇所があったそうです。

また、福岡西方沖地震の時にけっこうダメージを受けたらしく、修復作業が始まりました。


▲ こちらは2012年10月15日の様子。

ひとつひとつの石に番号がつけられています。修復といってもただ積み直すだけではなく、補強した上でまた元の位置に戻さなくてはいけないので大変な作業ですよね・・・。


▲ 石垣の裏側(南側)から作業の様子が見学できるようになっていました。


▲ 歴史的な建造物ですから、丁寧に少しずつ少しずつ作業が進められているようでした。


▲ こちらは2013年1月24日の様子。ようやく半分ぐらいが解体されました。

足場を作って1段ずつ石垣が取り除かれています。

解体した石は現在鴻臚館跡の発掘が行われている平和台球場跡に保管されていました。


▲ 解体したらこんな感じになっていたそうです。そうか、石垣は中にもビッシリ四角い石が積まれているわけではなく、砂利のようなものが詰まっているのですね!


▲ 2013年9月10日の様子。

石垣の撤去が完了してシートがかけられていました。けっこう長い間この状態になっていたと思います。


▲ 2014年1月10日の様子。

再び足場が作られて石が積まれ始めました。今はクレーンなどの重機がありますので石を持ち上げることは簡単ですが、江戸時代の重機がない時にこの巨大な石垣を作ったとは・・・。


▲ そして2014年7月24日の様子。ようやく全ての石垣が積み終わりました。

やっぱり迫力がありますね!美しいです。


▲ Before(2012年7月6日)


▲ after(2014年7月24日)

約2年間をかけて生まれ変わりました。

心なしか高さが前より高くなったような・・・?

・・・まあ、より立派になったということでしょう!


▲ かなり頑丈になった気がしますね。

これで当分の間は大丈夫だと思います。

あとは門も復元されたら さらに立派になりそうです。

古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み
宮崎 克則 福岡アーカイブ研究会
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Y氏(山田全自動)
ふるほん住吉店主:Y氏(山田全自動)
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福岡で古本屋「ふるほん住吉」の店主をしつつ、ブロガー/イラストレーター/執筆業などをしながら自由気ままに暮らしています。著書:福岡路上遺産(海鳥社)、福岡穴場観光(書肆侃侃房)、山田全自動でござる(BOOKぴあ)など
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